果てない夢が生まれる場所
6月のコンサートがはじまり、昨日はピアノとパイプオルガンのあるホールにてのコンサートに参加できました。コンサートにて、とてもなつかしい風が吹いている時を経験しました。何かとてつもなく懐かしい風が吹いている平原にいるようで、そんな時にふっと生まれた気持ちのような夢がありました。そして打ち消す一瞬すらもなく“出来る”という心と体の方向が生まれていました。実現出来る方向が心身にも生まれるとこんなに元気である事を経験をしました。生まれたら、出来るというその事が当たり前の世界に着地した様でした。これを「本音」というのかと考えました。日常ではしぼり出しても出てこないような事なのに、コンサートの場と環境はそういうことが起こり得るという経験をしました。それは、希望という大地に満ちている星に着地したようだったのです。同じ今に生きながら希望の星の住人となって生きられるひと時を経験したことが、とても面白いのと新鮮なのとそして懐かしさもありました。何でも出来るという機運に満ちていた子供の頃、夢と希望がどこまでも広がる平野にいるような躍動感があったのに、私はどこからそこからずれて、ただ歳をとる星に移動してしまったのか。自分の経験とか生きてゆく方向を表明したり表現しないうちに、自分の存在を自分で否定しているようなその生き方が長年積もることで、ただ歳をとる宇宙の住人になっているのだと思います。「本音」を潰してしまえば、何もできない人間にすることは簡単なように想います。大人になって、子供の頃よりも多くの言葉を覚えたはずなのに、「本音」だけは表現する言葉を知らなかったみたいです。何もかも腐り果ててしまった大人にはわからないはずの世界であるのに、今その世界に触れられていることは、決まっていたはずの運命を越えていることだと感じます。本心とか「本音」を表現することが、夢のある宇宙で生きられる第一歩なのでしょうかと感じる今です。ありがとうございます。