東北応用を経験して
14日はライブで、15日のコンサートをオンデマンド配信でお聴きし、これから向かうことの流れを一連で分かっていき、動くのですが、今までの頭での動きでは中途半端なやり方なので全く通用しないことを経験します。それは全面的に生命かけていないからなのだと気づきます。
16日から狂ったように就職活動に勤しむ中で、時間も忘れお腹の空くのも忘れるほど集中しました。
面接していただいた方は、この世の中で子どもたちが健やかな心で育ってきてはいないことを、子どもたちが描き表す絵からそのことを感じ、子どもが幼少時代にいきいきと過ごせる施設を地方の施設からの学びを取り入れ、都会の真ん中に作ったことをお聞きし、見学をしてきました。いろいろな考えをお聞きしていくと、しかし、そこで働いたとしても、そこのシステムに自分を合わせて生きていくことになり、枠の中に閉じ込められた鳥のような気持ちがして恐ろしくなり、その先には何があるんだろう、はじめたらいつ、これをやめるんだろうと、先が見えなく、結局お断りしてしまいました。子どもたち自体がそのままの本質を表し活かして生きられる場所をつくるために、自分のできることは何だろうかと考えます。
自分を活かして生きていれば周りにも伝播すると考え、常にそれに向かって動くことが、一番の人のお役に立てることなのだろうかと考えます。
それが表現できないでいます。
生活の基盤をいだきですべて創出していく不可能な目標が生まれて驚きました。京都コンサートでです。神ではないのですぐには実現不可能ですが、できる、と言い聞かせ、向かっていればいずれ実現していくと信じるよりない世界です。しかし、コンサートは未来を創造します。コンサートで生まれた本音は未来に実現します。
内面に少しでも否定的な気持ちがあれば、なっていかないことを20年程前に受講したあるセミナーで経験しています。それは方法であって、そのセミナーでは、すべて意識的につくり、愛の言葉も一度も聞けず、賛同できませんでした。今は、いだきに出会い、内も外も一つのあり方を育てていくことが、生命にやさしいあり方だと言葉になります。今は少しでもずれると違う方向に頭を取られていってしまう状態にありますし、外れていた状態をやっと修復できて向かえた尊い19日の東北の応用では、ある瞬間何処にいるのかわからなくなるフローの世界を経験しました。バリトンサックスで好太王様のお話をされた瞬間瞬間は次元が変わり光の眩さに生命満ちました。高句麗伝説に向かうプロセスをお聞きし高句麗伝説でのその経験を活かしていないことに申し訳ない気持ちになりました。せっかくいい経験をしても、元の状態にもどってしまうこと。生活することを考えると、やはり、枠のなかに、身を落とし入れ、それでも、コンサートを経験し、自分を取り戻し、空間の蠢くものに気をつけ、身体を動かすスピードに気をつけやっていく、とこまごました表現になりますが、情けや癖など、過去の身についたものを一つ一つ気づいて治すことにより、身体の不調を、改善していくことが少しでもできるように感じています。
優先順位を決め、崩れないように生きていくことが大切だと感じます。自分に足りないものは何だろうかと、今後に向い14日に目標も生まれていますし、15日にはやり方もひらめき、それは最も嬉しく、すぐには無理としてもそっちの方向で一歩でも作って生きていくと、元気でいられます。ここのところずっと腕が抜けるようにだるく、多くのものがぶらさがり腕を引っ張っているように感じ、首も肩もめちゃくちゃしんどいです。実家の先祖には政治家が一人います。この方のお導きでいだきに会えたと感じています。先祖もいだきに出会いたかったと感じます。先祖が力を貸してくださるのなら、どういうふうに貸してくださるのだろうか、と考えます。身体の不調から教えられることを知りたく、常に気持ちを表現していくことの大切さを感じます。長々と表現させて頂き、誠にありがとうございます。