東北の3回の高句麗伝説の翌日の変化
東北での3回の高句麗伝説ありがとうございました。全く別次元の弘前での高句麗伝説を経験させて頂いた翌日の盛岡での高句麗伝説は何もかもが変わってしまっていて正直理解を超えているように感じ頭も体もついていけてないような感じでした。まずい!と感じなんども背筋を伸ばして聞き入るという感じでした。しかし、翌日の昨日は生命は確実に経験していると感じる1日となりました。朝から東北の高句麗伝説を経験させて頂く前に普通にやっていたことがやろうとしても忘れてしまったり、1つのことをやるのに何回もやり直しになってしまい、最後は慌てていたからだと思うのですが、そのような場面はなかったし記憶もないのですが、車のライトをつけっ放しで車のバッテリーが上がってしまい、ロードサービスの人に来てもらう始末でした。空を見上げると空間は美しく澄んで清々しく既に新しい時代になっていることを感じます。これからは過去のデータを何かを測ったり仕事をするのではなく未来を感じ動く時と感じます。頭から足の先まで変わらなければまだ生きていけない時と感じています。ありがとうございました。