東北の経験
先生の焙煎日、結工房への電車に乗って仕事のメールをしていると幾駅か乗り過ごしていて偶然「駒」のつく駅で降り、また結工房のある駅まで戻りました。
ビデオ講演会での東北と高句麗のご縁のお話に、2008年の12月、青森の「大地の声」で高麗さんが生まれるがままに即興で詩になさって 引き裂かれたかなしみ… と表現されたと記憶しているのですが、その時、青森から北上、平泉から仙台…と南下して旅したのですが、東北の表に出ない歴史がその時の表現されたことから表れゆく予感があったのかと今振り返ります。先生のコンサート、高句麗伝説と東北の地であって歴史の真に出会い、明かされた真から光の芽が生まれ、未来に実るべく時が紡がれ、今があることの尊いことをかみしめておりました。
8月最後の仙台のコンサートでは、最初肝臓の働きが鈍く、多くの規制で身動きがとれず鈍くなっていること自覚しました。街で人がアノミー状態であることを目の当たりにすることが多い昨今で、一見、こちらに危害を与えられたと思っても「早く伝えて下さい」という切実な訴えを その時の身を切られるような痛みから感じ、最も必要な、生きる上で要の経験を代表でさせていただいていながら動きの足りなさを申し訳なく感じました。二部では宮城の被災地で出会った方々、コンサートにいらして下さった方々の事が心に浮かび、元気だろうかと出会えたことに涙がほとばしり幸せで元気なことを望み、こちらが助けられてきたことをわかり、人間として生きること、原点に立ち戻り未来へつないでいきたい気持ちとなりました。仙台でより聴けない音…人間としてたいせつなことをいつも感じます。
盛岡の応用コース、存在論でお話しいただきました「気づかい」という言葉が、これまでの他者への配慮 という一辺倒な枠を被ってきた制限を超えて、講座でのお話から未来軸に繋がっていくようです。これまでなかった認識で、先月の京都の高麗屋さんでの幻のKogryo Caféで、詩にしていただいた、冒頭、先のないところに留まることを表わして頂いた言葉も時を経て 分離されるべく、過去に戻ると体の不調に表れることも日々わかっていっており、未来に向いていくこと、新しいことを1日にひとつずつでもしていかないと落ちてしまう、そのことと重なりました。
盛岡、仙台でのコンサート、講座、結工房での焙煎と大変貴重な機会をありがとうございました。参加させていただけますこと、移動…仕事をしながらでいっぱいいっぱいになっていると思ってきましたが、内面で育まれていることの大きさは、まわりが消そうとしても消えない炎のように命の内で燃え続けています。自ら言葉にしたり、表現をしていかないことは他人の人生に巻き込まれ、自分を見失うことも今年に入って甚く感じてきたところでした。生まれた光の芽を育てて参ります。