東北の地にて
2020年の終盤に東北の地にて、連日のコンサート、催しに、心より感謝します。
12月21日の府中コンサートからの1週間は、ことばにつくせない時間でした。関わる方々と実感しました。高麗さんのビデオ講演会によりたいへんな状況であることをお聴きし、何とか抜け出していきたい気持ちで、コンサートに直接またはライブ、オンデマンドで参加させて頂けたことでかけがえのない力を頂きました。最後の仙台コンサートのピアノとはおもえない音、アンコールのアリランは心震え涙よりなかったです。皆で山を乗り越えていく日々、先生、高麗さんにつながりいのちある事が身にしみます。
今年最後の「死について」応用コース「存在論」、そして締めくくりのビデオ講演会を、ありがとうございます。はかりしれない流れにより東北の地に身を運ぶことができ、自分だけのことではなく、ともに生きる人、見えないはたらきに感謝こみ上げます。
死ということの前には正体ばれること、そして真があらわれる今のとき、社会に、人にはまったり、古い頭ではまっとうにはたらいていけないと受けとめました。どうにもならなかった胸の奥が解かれていき、先生がすべて受けて下さり、先に行けるようにして下さっていること、只々有り難く頭を垂れます。きちんと考え、わかり、ちゃんと表現すること。たくさんの答えを頂き、ここから進んでいこうと、力湧いてきます。
古事記の「アメノミナカヌシ」「高天原」からはじまるお話は、いちばんお聞きしたかったことです。まだわかったとはとても言えないですが、身体のうちから熱くなり汗が噴き出て、心ひろがりました。日本人のいのちのもとなること。自分を超えた神の力がはたらき、神が宿りともに生きるいのちになりえることは、畏れもありながらとてつもない希望です。
「存在論」で先生が「生まれた意味をわかってる人いるか?」と何度も問うて下さり、歯がゆいながらその場では答えられませんでした。子どものときから、何かやることがあって生まれてきた、ということと、誰かに会えるはず、と心に生きてきました。先生、高麗さんに出会え、いのち助かり、、、だいぶ長い時間がたってしまいましたが、ある何かがあって、成したいことがあり生まれ、ここにいることはわかります。
世界を変え、平和を実現していかれる先生、高麗さんと、ともに生きてはたらきたい気持ちは、まだ何もやってない有様で申し訳ない限りですが、いのちあり今ここから歩める、感謝しかないです。
1日30分で、3年間やったら専門的なことができるというお話もやっていこうと感じました。
ふだんの生活、仕事、ぜんぶが稽古であり、存在あらわし輝くように生きることと、新たな年の指針を頂き、ここから向かいます。
さいごのビデオ講演会の高麗さんのお話が聴け、有り難くうれしく、東京に戻りました。
先生、高麗さん、盛岡での尊い時を、まことにありがとうございます。
天田敬子