東北にて
9月28日のことから書かせたいただきます。多賀城コンサートの前に、仙台高麗屋さんの幻のコグリョカフェで高麗さんに詩を書いていただきました。ありがとうございます。悲願という言葉をもう一度調べてみました。無意識に何となく悲しいという意味にとってしまいます。前にも少しお聞きしましたが、悲しい願いという意味ではなく、この悲は仏教の慈悲の意味とありました。人が苦しみから抜け出し楽しく生きられる、人類救済の意味とありました。
その後、待ちに待った多賀城でのコンサートです。暑い7月の国創り行商活動から始まり、8月、9月と多賀城にて活動させていただきました。その中で魂の表現が始まりました。6月に本音の表現をさせていただき、どんどんと魂の表現が深まっていきました。高麗さんが場を作って下さり、仲間の表現を聞き、自分の中の魂が目覚めていきます。すごいことです。今では魂とは何かとの問いに、魂は生命、愛、と答えます。講座の2日目で運命を見られる時、日本人は魂が無く中心が無いとお聞きしていましたが、魂を現す時、本当に生きていると感じます。魂で出会えば大きく動いていけると感じます。
コンサートでは、東北の歴史を地面の深いところに届くピアノの音に、どこにいるのかわからないような体感です。最後のアンコールで拍手をしている時には、ピアノの音に喜ぶ魂の声が重なって聞こえたようでした。
外に出ると、心地よい風に、煌々と輝く月が、雲を照らし、幻想的な空です。月も一緒に演奏を聴いてピカピカと輝いているようです。多賀城にお住まいの男性は、初めてのコンサートをご経験なさり、また次も仙台のコンサートに参加しますとおっしゃっていました。多賀城でコンサートが無ければお声がけすることはなかったかも知れません。活動からコンサートに参加させていただき、素晴らしい経験をさせていただきました。
今日は、東北センターの「死について」とビデオ講演会に参加させていただきました。
写真を撮り、撮る人が期待するようにポーズを取ったり笑顔を作り、その写真を見た人はそういう人だと思っていくし、対象化することになるとのお話しはよくわかります。このお話を聞きながら、思い出したのは、先生に撮っていただいた写真です。仙台のアーケードで寒い冬の日、マルシェでコーヒー販売をしている私の写真を撮って下さったのでした。私の知らない間に撮って下さっていて、「こんな可愛い少女のような顔をしているのか?小鳥ちゃんのように可愛い」と感じました。今もスマホのアルバムに入っています。もう一枚は、タンポポの写真です。ある時、先生の撮られたタンポポの写真が胸に飛び込んできて、胸でタンポポが咲き、風に揺れて生きている生命の喜びに震えたことがあります。ケーキ屋さんのお店に飾らせていただいていたので毎日見ていた写真でしたが、ある時突然その生命を感じました。すごいことです。今日のお話しからも、表現することの大切さを考えます。地霊とは、女性の霊が地に埋もれているお話しを聞き、過去に生きた女の人が報われていくコンサートはすごいことです。ありがとうございます。