東北にて
東北、盛岡にて「死について」、ビデオ講演会、そして応用コース、存在論、ビデオ講演会を、ありがとうございます。
東京での今年最初の三鷹光のホールコンサートで起こった感動と衝撃が内に在り続け、心身の変動の大きな数日でした。遡れば昨年末から今年は只事ではない年と感じてきたことでもあります。
三鷹コンサートではあまりに美しい音がいのちにしみいりながらも、内に硬い何かがありどうにもできませんでした。あるとき大いなる存在に身を任せようと音を全身でお聴きしていたとき、「ずっと一緒にいる」ときこえ、魂、みえない存在がともに生きてくれていると感じ、突然、感謝と涙があふれました。硬い何かはとけていました。先生のお姿、アンコールの拍手、感動こみ上げてなりませんでした。
コンサートメッセージの「偉大なる幼稚さ」のことを伺うことができ、有り難いです。よい歳でもただ幼稚なのは人も自分もいい加減にと感じますが、違いがわかってきました。最近10歳の頃のことを想い出し、その頃つまづいたこと、算数なども気になっていること、あらたに興味あることもうかびます。
ラテン語のお話から、興味や関心の生まれたことを、人生を考え、継続してやり遂げていくことを考えます。
記録のようになっている記憶と、変化していく記憶のこと、そして地獄のお話は驚くばかりですが、ここでしかお聞きできないことです。途轍も無い人間のことを解いていかれる先生に、ただただ深く頭が下がります。書いて書いて整理していくことが大事なこともあらためて受けとめました。
存在論で、そしてビデオ講演会での「世界伝説」のお話で、「高句麗伝説」で生まれる言葉により、ひとりひとりが存在に目覚め、あらわしていくことで平和が成っていくということはほんとうに凄いことと感じます。あきらかに戦争、紛争で、また知られていないところでも、たくさんの生命、人生が奪われているのは早く何とかしたいことですが、今それに対して具体的にすぐ何かすることはできなくても、もっと自分のやることをやっていこうという気持ちになりました。
東北センターでは、先生、高麗さん、皆様と、ぬくもり溢れる場で、汗がにじむほどでした。「ただ一緒にいるだけでしあわせ」との高麗さんの詩のお言葉がうかびます。
尊い時を、まことにありがとうございます。
天田敬子