本音
暑さ本番の8月に、三鷹の地よりコンサートをありがとうございました。
本音というメッセージからはじまった一部はそのまま先生の音とひとつになり内面に沁み入りました。懐かしいとも感じる音はそのまま自分自身のいのちであると感じ、全身にやさしくひろがっていきました。これは私でしょうか、私でいいんでしょうか、とあまりにやさしく美しいいのちの中心がどこまでもひろがっていく内面に、とちゅう問うてみても、他にはなんにも出てきません。よけいなものが何もない内面は本音というよりないことを経験しました。
二部も一部から続いているようなやさしくも美しい音のなかにいましたが、あるときから音が変わったと認識したとたん身体が音と一緒に変わりだしました。身体に芯が通っていくとき、エロスとは、まるで想像していたような世界ではありませんでした。美しくやさしいなかに突然顕れた次元は、壊れるものは壊れる世界のなかに、強くあること、強く逞しく生きること、本音を生きること、例えようもない大きな力を示されました。
今日も朝から暑いですが、夏が大好きだった子どものころが戻ってきたように感じる朝です。
コンサートをありがとうございました。