本音に触れて本音が生まれる
気付いたら周りに合わせてばかりになる癖が出ていましたが、ちょうど良く衝突があって立ち止まり、振り返ってみるとまた紙くずのような言葉ばかりまき散らしていたことに気付き、改めて本音を発すると近いところから連動して外側からも本音が聞かれ、やっぱり本音が大事だと思いました。散々習ってきたのにすみません。本音は野を越え山を越えどこまでも行く元気がモリモリと湧くのに、一見キレイで優しいように見せかけたゴミの言葉はベッドから机まで移動する元気すらも出ません。たくさんの人が居るとそれぞれに合わせようという、能力を超えたことをしようとしてしまいます。そうするとどんどん言葉が塵のように軽く無意味なものになっていきます。特にそれが、こちらの仕事でもなんでもない場合は、出来ていてもいなくても単なる迷惑にしかなり得ないのだとわかりました。そこには、例え結果を出せていてもいなくても、天からの匙を受け取った尊い別の人間がいるからです。他の人の場所で戦ってはいけないとも併せてわかりました。気付けばフラーッとやってしまうのですが、無駄かつ失礼なことしないよう鍛えます。決して一人ではないんですが、一人が寂しいと思う癖がありついしてしまったのかと思いました。自分の戦の場(だけ)で本音(だけ)を発しながら、ぬくもりを持って場ごと他者や他の場と繋がることが基本と鍛えます。