本音で生きるより生きる道なし
七夕まつりで賑わう仙台の街です。アーケイドも道も大混雑です。大勢の人が集う七夕まつりの中を歩いていると、体が一変に重くなり、目がかすむほど、苦しくなりました。ここで倒れたら何の為に歩いているかと、やるべきことがあり、歩いていることを確認し、先生の講座での「歩くこと」のお話を心に速度を上げ、歩きました。次第に、元気が出てきて、すっかり私のペースで歩けるようになり、用事も済ませ、元気一杯で講演会へ行くことができました。時間もギリギリで、気づけば汗まで吹き出るほどのスピードで動いていました。 講演会前に先生からのキリマンジェロのコーヒー豆の写真とメッセージを読ませていただき、姿勢を正しました。タンザニアの時を共にしながら、忘れてしまったのか、もともと本気でなかったのかとのお言葉を読み、本音であれば忘れることも途中でやめることもできないと心の中で言っていました。本音は生命の働きであり要求です。やめることなどできないのです。途中で気持ちが変わることもないのです。今こそ、一人ひとりが本音で生きる時と講演会では懸命にお話しさせていただきました。一人でも本音で生きる人が増えれば、それこそ裏が表に、表が裏にひっくり返り、真が現れ、あっという間に嘘で作られた世界はひっくり返ると見えるのです。お会いする人、街を歩く人を見ていると、幕が閉じるように見える人、人間的である人とはっきりと現れています。本音で生きる人が増えれば、空間も変わると見え、人に役立てると見えます。
昨夜、深夜にウエブサロンへのアクセスが完全にできない時間、生命のネットワークが絶たれたと感じる人の不安が見え、感じました。この場は、生命が繋がり、多くの人の生きる支えになっていることがよく見え、この場を作ってくださった先生のお考えは真に人を助けて行かれることの凄さに感動しました。ふと、いだきがこの世に存在することで、いだきを知らない多くの方々にも生きる支えになっているのだと見えました。私も先生にお会いできるまで、本当のことをわかっている人に会えれば生きていけると胸の奥で確かな光を感じ、絶望の中に光を見つけるような気持ちで生きていたので、かろうじて生きてこれたのです。人間の存在とは世界につながり影響していることを生命で感じました。いだきが存在すること、一人ひとりが本音で生きることで、世界に希望の光が灯っているのだと見えます。
明日は台風が近づくとの予報ですが、仙台高麗屋にて、午後の少しの時間ですが、コグリョカフェをさせていただき、高麗屋ブティックをオープンする予定です。5時半からビデオ講演会サロンを開催します。今日のビデオ講演会では結工房から届いた縄文コーヒーを淹れさせていただきました。優しくてまろやかで、光に抱かれる味が大変美味しく、皆で喜びいただきました。皆の笑顔が輝き、安らぐ表情を見ているだけで嬉しく、どれだけ美味しいかがわかります。皆で喜び、コーヒーから愛を経験でき、とても温もり溢れ、ありがたいです。ありがとうございます。