本人の意思
天があり地があり、その間にわれわれのいのちがある。いくら限界に達しているとはいえ人間は人間なので意思があり一人一人の意思を無視することはできない。その意思故に滅びの道へ向かおうとも、人の意思を無視する扱いはなによりもまずモノに対する扱いと同じになってしまい、それこそ人間ではなくなる。
東北と日本の未来を語る会、講演会、ビデオ講演会、そしてコンサートをありがとうございます。天からの大いなるはたらきかけを受けて、地にあるわたしたちの一人一人の意思が問われ、以前とは比較にならないくらい真剣に内面と直面する姿勢が必要ですが、同じくらい流れに乗ることも大切と感じます。先生のコンサートを表現できる言葉を知らず、とにかく先生は最高としか表現できない自分の語彙のなさ、表現力の乏しさは、なんとかしていかないといけません。
いきおいのある動物の高く丸い鳴き声と、見たこともない模様の光の絨毯!どこの国かもわからない新しいアリランの調べ、それは神聖な経験です。先生が毎回新しくなっていらっしゃるように感じられ、同じ先生ですが、違うようになっていかれてるようにお見受けします。
いだきは本当に素晴らしく、いだきしん先生や高麗恵子さんとともに生きて行くにふさわしい人間になりたいと心底感じています。
個人的には 戦わない、いままで持っていた剣を捨てる覚悟をしました。戦いを挑まれるのは 自分に挑まれる要素があるからに他なりません。自分が先に、そういったものを発しているとも考えられます。 自分を守るため、そして人を傷つけないために逃げてばかりいます。3歳の本音『やさしい空間をひろげる』は、その状態では実現できません。そもそも剣を捨て、挑戦状を受け取らなければ、逃げずとも相手と競うことはありません。
コツコツやっていると、半径1平方メートルとその上空だけは、豊かになっていく感じがします。でも、1人ではどうしても、そこまでより広がりません。人と真の意味で関わり、生きていかなければ、本音の実現かなわぬと、未来の方から声がします。