未知へ
ジェンダー講座・応用コース・存在論と、高麗さんのビデオ講演会まで、京都での充実した二日間をありがとうございました。
どのような局面にあっても、一貫した生き方を示される先生のお姿に、これからの時代を生きていく道が拓かれました。
講座前の空間は澱み、人々の動きは精彩を欠いており、暑さのせいだけとは思えないほど気持ちの悪い中にいました。
ですが先生の愛の表現によって煩雑なエネルギーは払われ、雑然とした喧騒は凪のように静粛な海原へと変わり、内面には爽やかな風が吹き抜けていました。
若いエネルギーに触れ、その先に広がる無限の可能性に希望の光を見ました。
同時に、自らの望みや充実することを分からなければ、そのような生き方を実現することはできないのだとも気付かされました。
普段は5%も使われていないこの脳が、残り95%もの可能性を秘めているのですから、いつ何時も我々には計り知れない可能性が眠っていて、それをどう生かすかが問われているのだと実感しました。
先日高麗さんに現していただいた巻き物ともリンクし、内面は未知の世界へと向かっています。
普段の仕事の中でどうしようもない苦しさに襲われることがあります。その度にノートに書き出し、自分の状態を見つめると、疎外された存在者として生きてしまっていたことに気付かされます。愛のままに生き、日々の時間の中で余計なものに気付き改めていくことこそ、生きる基本であると学びました。
存在論でのお話は正に「いだき」の真髄であり、元となるものは全て愛、存在=愛となって生きていくことを若い感性を通じて教えてもらいました。
理屈ではない瑞々しい感受性に心を打たれ、人間本来の純粋な在り方を「新人類」の生き方として感じ取り、忘れかけていた「いだき」を思い出しました。
10年以上も前ですが、同じく京都でお正月の先生のお餅つきがあった前日、自分の未来など何も見えず人生のどん底のように何もかもが絶望で、身動きのとれない苦しみ、もう無理だ。と苦痛の絶頂の中にいたその矢先、自らの内側の奥底の底から愛と言葉が花のように生まれ、全身から力が漲り、生命が躍動していくという経験をしました。その翌日に高麗ギャラリーカフェへ行くと、丁度そこから先生が出てこられ、真っ直ぐに私の元へ来られて、「よく来たな」と満面の笑みで差し伸べてくださったその手の温もりが、今も私を生かし続けています。
あの瞬間に、先生は場を離れても、こちらが言葉にしなくても、人の状態をそのまま感じ取られ、そして解決されていくという、とんでもないお働きがあることを実感しました。
これから、愛のままに、生命豊かに人生を歩んでまいります。
かけがえのない学びとお時間を、ありがとうございました。