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未来へ、今


去る令和3年2月17日に父伊藤敦仁がこの世を旅立ちました。皆様には父が生前大変お世話になり、この場をお借りしまして大変恐縮ではございますが、心より御礼申し上げたく書き込みさせていただきます。
父の弔いに際しまして、多くの方々に、お心やお言葉ならびにお花を賜りまして心より御礼申し上げます。

突然のことでありました。父自身も一緒に暮らしている私たち家族も、誰もがこのようなことになるなんて、想像もしていませんでした。亡くなる前日にも、当日にも、家で家族皆でとてもいい経験をして、話をしました。父は「生きるよ」といつものように話していました。それは、いつもいつもどのような時も、未来への展望、これからのやりたいこと、大きな大きな夢しか語らない父でした。
父が皆様に語ったこと、皆様と経験した沢山のこと、皆様と旅した海外のこと、父はいつも嬉しそうに話していました。皆様にお会いすることがそれはそれは父の楽しみでした。そしてそこで経験する新しい生き方を追求する人生が、父にとって希望の輝きでありました。まっすぐにそこに向かっていました。それは、父の話す表現から、そして父の生命の躍動と輝きから、私は直に感じていました。
亡くなる10日ぐらい前から、父の瞳はどんどん澄んでいっていました。私が見たことがないような瞳の輝きでした。身体も日ごとに肌艶がよくなりとても病人とは思えないような力強さが生まれていたのは、身体の負担となっていた余計なものを脱いでいっていたのだと想います。
突然の最期も、いつもの自分の布団の上で、私と妹が父の身体を抱きかかえる中、2人の腕の中で息を引き取りました。凄まじい風が吹き荒れながらも陽の光の暖かい日でした。腕の中で息を引き取った父の顔を見た時、父は全てを安心して私に託したことをわかりました。そして、「何も心配はいらないから、一緒に生きるからね」と言っているような姿でした。これからの私の人生、父が悲しむようなことはできないこと、そして父が喜ぶようなことをして生きていくことの覚悟が生まれていました。そして、生前の父との関係では感じたことのないほどの父との一体感を感じていました。父はどこかへ逝くのではなく、こっちにきたのだなとわかりました。父とは、そして父と私とは、そしていだきに出会えて生きた先の私たちの死とは、一体なんであるのかを、私はこれから表現することに挑戦しつづけます。

父が亡くなった翌日の朝陽は忘れえぬほど美しい光景でした。朝起きると厳しい寒さで、うっすらと一面に広がる雪景色の中に、陽の光が昇る景色は、日本ではない、どこか厳寒の大地のような景色でした。
そうかとおもえば、その翌日からは庭の白梅の花の香りが空間にただよう暖かい春のような気候に、厳冬から春へ移ろう只中に、父の死から弔いまでがあったように想います。私の心に人のぬくもりがこれほどに沁み、そして力となってくださったことを感じたことはありませんでした。弔いの中、集まる人皆が仲良く生きていけるなつかしい実家が、そこにはありました。心暖かく、誰一人欠けても成し得ぬことが出来た経験です。

そして、皆様の沢山のお心を賜り、父の人生が新たな旅へと向かえるような葬儀でした。このような式となることを父は想像もしなかったと思いますが、最も父が喜んでいることは、同時に私に力が生まれていることで、わかるのです。
私たちも報われ、全てが未来へ向かえる式となりましたこと、父に代わりましてそして家族を代表しまして、心より御礼申し上げます。

伊藤令依

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