更に、新たに
京都での豊かな学びをありがとうございました。ノートには溢れる知恵の宝物がぎっしりと書き込まれ、希望のお土産をたくさんいただいた気持ちで帰路につきました。
地元の人たちを知るために、Facebookで招待が来た、地元の人がやっている新型コロナウイルスの情報共有グループへの参加を承認し中を覗きました。あくまでも地元の人たちの一部の在り方を知るために参加を承認しただけなんですが、目に入る投稿もコメントもウンザリするばかりで、具合が悪くなり「ミイラ取りがミイラになる」という言葉が浮かびました。「東京都の今日の感染者は〇人」「減りませんね・・・」とテレビやネットのニュースをソースにあの最果ての町で本気でやっているのです。しかもそれを「良いこと」として一切の疑いをもたずに・・・。本当にこんな絵に描いたような、「テレビの情報に振り回される人たち」「考えられない人たち」がいるんだ・・・ということ、地元で事業をするのはこの人たちを相手にしていくこと、などの現実を目の当たりにし、ニーズを調べながらもゾッとするばかりで、この件に関してはどういう方向へ自分の能力を上げたら良いかすら今はまだ見えてきません。先生が3/11のコンサートで見せて下さったあの背中が私をなんとか立たせてくださっています。
今日のコンサートで、これまでの自分を更に乗り超え、地元の人たちや自分とは大きく違う人たちとの新しい関わり方をわかろうと臨みます。
10年を振り返ります。何年か前に京都の応用コースで、「地元に帰りたくない病で・・・」と質問させていただきました。その頃はコロナではなかったですが、地元を離れて戻るといつも「お前が悪い」「お前が悪い」と当時のスタッフ仲間から責められるため毎日皮膚が心臓が痛かったのを覚えています。でも今思えば、その更に前の職場のときよりは、まだ直接責めるオーラを出してくれていたのでマシだったのです。その更に前の職場では、私は使いやすいので権力者に気に入られ管理職になりますが、他のスタッフさんたちは私が頭の悪い人でいてくれたほうが「頭の悪い管理者をわれわれが支えている」という格好がつくので、私の前では極力私が成長しないようにと、ちやほやともてはやしてくれ、そのくせ裏ではとても悪く思っていて、私を悪く言っているのでした。共通の敵をみんなでつくることで日々のストレスのはけ口にするのですね。どれも今になってわかることです。それに比べたらまだ直接痛いものを目の前で発してくれていたほうがはるかにマシでしたが、それでもあれは浴びるとヒリヒリと痛く、毒の矢が刺されば数日間起き上がれないものでした。
それを緩和させるように私の前でニコニコしておべっかをつかって油断させてくれた人ほど、コロナをきっかけに私のいないところでひどい悪口を散々言って辞めるという顛末でした。これが私の10年でした。めちゃくちゃです。認めて先に向かいます。
いだきに通いながら地元で経営をするという能力のなかった人間の末路でした。忘れていた私が悪いんですが、父母も含め地元の人たちは、Aと言いたいときにBと言うので、しばらく地元を離れているとその感じが全くつかめなくなります。先日は、Bどころではなくわざわざ「Aでは無い」と否定までするのです。結果偶然Aになったところ、かなり喜ばれてしまい、私は驚きました。「最初からAと言ってくれたら、何も問題なくAにしたのだが・・・苦労が必要なことでもなんでもないのに。しかもAで無い、とまでいわれたらどうしてAを差し出せようか」と。
地元にずっといられなくなったからうまくやれなくなったということはありません。ずっとあそこにいたら一体化するため現場の人たちからは責められなかったかもしれませんが、場を変えることはできないので、本音に即していなくて意味がありません。内的環境が外的環境をつくるとは、過去を少し振り返ってもまさにその通りでした。このことを忘れずに、これからは離れていても一つでいられる信頼ある経営者、管理者として厚みのある人間へと本当に変わっていきます。
コロナで地元の人の本性がハッキリとしてしまい、「そうだったのか、、、」という驚きと現実を知る毎日です。見た目には同じ人間でも、こんなに考え方やものの見方が違うことを知りませんでした。とぼけることも、これまで得意の「良いところを見て悪いところは見ないようにする」ことも、もはやできず、無理やりみんな同じだと思い込もうとしてきた人生を脱げる機会ともいえます。
今日1日、新たに宜しくお願い致します。