普遍的な生き方
府中の森ドリームホールへ参加させて頂きました。
12月から勤める会社が6:15に終わるので間に合わないのですがメッセージから一部の始まりをヘッドホンでお聴きしながら一部途中から入らせて頂き、一番後の席に着きました。一部、内面になかなか入ってこなく、とにかく魂に聞かせようと挑みました。するといつしか、気がついたときには、会場いっぱいが森になっていて、いだきのふわふわした綿のような森に包まれていました。まるで夢のような世界に生きているようでした。
二部のメッセージをお聴きし、この身に受け止めました。新しいことをやるようになったいきさつは今の職場の環境から始まったことです。この仕事も不思議な決まり様でした。未来の今からみると、もしや、そういうことで成り立っているのかな、。。と仮定するとギョッとします。京都の会場で求めた白いコーヒーを自宅で先日淹れようとし、手が触れた瞬間、見えたものがあり、真がわかり、身を助ける閃きが起こりました。白いコーヒー、すごいです。昨日は府中はライブ配信でしたが、動けば回る、という言葉を信じて今日は身を運ばせて頂きました。奇跡を幾度なく簡単に行ってしまう、先生のこれまでのおはたらきを考えれば、人が何処で何をやっているか、すべてお見透しですので、本音を生きていれば、水が流れるごとくなっていくことを経験により確認しますし、一瞬一瞬吹く風のように、生かされていくことより、生きる、という傲慢な頭から、解放されることは無いように感じます。二部のメッセージ、また素晴らしく深遠でクリアで高次元の世界の演奏される音の聞いたことのないようでありながら、この音の世界がもっとも好きと感じ、至福の時を暫く過ごしましたが、次の瞬間、急に咳が出始め、抑えるのに必死でした。瞬間みていたものにより光をさえぎられた、調子よかったのに咳が何故急に出てしまったのか、の原因がわかり、先生の音を中心に集中して生きてなければ邪なものが見え光から闇に落ちてしまうのでした。ただ音を聴いていて快楽にハマってしまうと、とんでもない隙間に邪がみえ入り込まれる自らの在り方がいけないことに気づきました。余りにも微細で精妙です。自分の進むべきことだけ集中し、力を注ぎ、やっていけばいいのだ、と思考を新たに切り替えましたが。。
新しくし始めたことにおいては、生きるためにしていることですが、職場のあらゆる関係が変わってきていることは朗らかです。そして、自分も満ちてきて、幸せになってきていることが、していることが正しいのかとの証と取り敢えず受け止めています。アンコールでは、見間違いなら良いのですが、大地が天までいくつも吹き抜け、天との境がみえている、地震のような光景がみえました。もし、これが先のことであるなら、いだきに出会った一人一人は、先駆け世の中を助けていくためにやることがある、と言葉になります。この度のコンサート開催に感謝いたします。誠にありがとうございます。