時
いだきしん先生のCDが流れる中で、高麗さんが詩を詠まれる。それは2004年、国創り元年として組まれた高句麗伝説全国縦断コンサートスケジュールを全て無事に終えた初冬、富山で開催された「高麗恵子 詩と語り」という催しが始まりでした。何をされるのか、どのような催しなのかも当初わからなかったけれど、それでもご案内チラシに心が動いてならずに神奈川から飛んでいったのです。会場の入り口で受付を済ませ、お部屋の中に歩を進めると、設えられた小さな舞台の上には誰も座っていない椅子がひとつ置かれていました。静かに音の流れる中を席に着かせて戴き、ふと舞台に目を向けてほのかにスポットライトのあたる空っぽの椅子を見ていた時、遠い昔からこの時を待っていた感覚に不意におそわれ、訳も分からずに胸の奥から込み上げたことをよく覚えています。そして、その椅子に座る御方が登場し、語り始め詩を詠まれ始めた時の衝撃・・・。自分ばかりではなく参加するほとんどの方が号泣されたこの時の経験が、私にとり大きな転換点であり、原点となっています。そのことが鮮やかに蘇る2日間。生命深くから涙とともに歓喜込み上げる場にあり、気持ちも経験もこれから活かし、これから活きるとわかるものすごい2日間となりました。高麗恵子スカイロケットセンターでの「高麗恵子語り」を、心よりありがとうございます。朱蒙様の音の中、高麗さんのお声で「雪原」とお聴きし、眼前には雪原が広がり、雪の香りがしました。そして光の存在に生命でお会いできました。尊い、尊い時。この状況の中を企画して下さり開催下さった数々のいだきしん先生の講座に参加させて戴けることにも心からの感謝よりなく、どのような状況であってもいつも今が始まりであることにも感謝よりありません。愚かさは次々自覚して治し、出会えた意味をわかり生きていく、これからが本番です。すべてに心よりありがとうございます。