時間軸のない世界
先日の存在論を経験した書込みを書いていたのですが、書いている途中で空文なのではないかと頭をかすめた瞬間、怖くなり言葉が詰まりました。いつもであれば時間もないし、そこで諦めて止めてしまうのですが、何が何でも高句麗伝説が始まるまでに表現しなくてはと、時間が迫る中で焦りつつも言葉を書きました。空文であるなら、それをも認めればいいと考えたからです。送信して間もなく、先生と高麗さんが登場されましたのでギリギリでした。いつもであれば、開演前は深呼吸して目を閉じ、心を落ち着かせるよう努めるのですが、今回はそんなことをする間もなく始まってしまいました。何から何まで、今までとは違う展開で始まった高句麗伝説です。目を開けていると、どうしても前や隣の方の動きに意識が向いてしまい、気が散ってしまいます。高麗屋さんで音声だけの上映会を行った時のように目を閉じ集中すると、高麗さんが表す表現が途切れることなく、先生の音と共に次々と、ハイスピードで流れるように出ることに驚きました。頭で分かろうと解釈したくても、とても追いついていけず、音と音で捉えます。そうしたら、ここには今と未来しかないと分かったのです。時間軸がない世界は自由です。今までと全く違う世界の展開に引き込まれます。存在論で過去、現在、未来の過去がなくなると量子論に入っていくと先生が仰った時には分かりませんでしたが、時間こそが闇の世界であり、だから即興演奏を行い、言葉にすらならない世界を表している事とは、正に今経験している世界だと分かる高句麗伝説です。存在論での何かが大きくつながり、ひとつの世界となりました。ありがとうございます。今日も引き続きよろしくお願いいたします。