時空を超えて
昨日の高麗さんの書き込みを拝見した時、涙よりありませんでした。高麗笛と笙を作られた御方のこと、お父様の高麗笛のこと。と同時に、アルメニアのドゥドゥクの話を思い出していました。私は、なぜかドゥドゥクをアルメニアで買ったのです。先生の話をお聞きし、アルメニアで手にした時の木の温もりが手放せなかったからです。笛に思いを馳せながら、狛江の高句麗伝説の席に座らせて頂きました。空間は恐ろしい程に澄み渡り、手を触れたら切れるかのように研ぎ澄まされていました。歴史を辿り、たゆたう光と陰を、あらゆる時空を超えて今を共にする時、すべては瞬間、瞬間なのだと、はっきりと分かる高句麗伝説です。人生を共に歩ませて頂いたかの如く、一気に駆け抜け、人生を深く考えるこの経験は、やはりどう表現していいのか分かりません。脈々と未来に向かって、光り輝き流れる大河が見えました。帰り道、前夜に続いて夜空を見上げると、大きな満月が煌々と輝いています。何もかも映し出すかのように明るい月を見上げていると、先程の高句麗伝説の舞台空間と同じ光景が見え驚きました。雲が流れ、満月にかかり、風に流され、また現れ出る満月の美しさを眺める時、時空を超えた正に歴史の大ロマン、高句麗伝説そのものです。8月16日は、昨年亡くなった愛犬の初命日です。昨年は亡くなった直後に、泣きながら銀座のヤマハホールに向かわせて頂きました。先生のピアノの音に包まれ、彼の存在を確かに感じながら涙が止まらないコンサートでした。今年は、まるでかぐや姫が月に帰る時のような大きな満月を見上げていると、古の魂蘇り、未来への光輝く風に吹かれ、感謝しかありません。ありがとうございます。