時を活かし飛翔する
春の足音が聞こえ、春が来るときめきが空間に煌めく今日、新しい月を新しく生きる気持ちで府中のコンサートへ行かせていただきました。真に新しく生きることなくして今後は生きていけないことを生命をもってわかる、生まれ変わる経験となりました。
「愛を実現するからだ」
「愛を阻害する。ここでいう「阻害」は、進行をじゃますること、あるいはさまたげることを意味します。愛は疎外される。ここでの「疎外」はうとんじ、よそよそしくすること。マルクスは人間が自己の作りだしたもの{生産物。制度など}によって支配される状況のことを云い、ヘーゲルは精神が自己を否定して自己によってよそよそしい他者になることを表す語として用いました。{広辞苑より}愛を実現する主体は「からだ」であることは論を待たないでしょう。「阻害」「疎外」の影響下にある現代社会で、どのようにして「愛」を見出し、実現するのでしょう。この「からだ」を抜きにしては考えられないでしょう。「愛を実現するからだ」をご経験下さい。」
先生を前にし、先生の表現をお聴きするということは自分の状態がそのままあらわるということを今日も大変驚きました。メッセージにありました「阻害」も「疎外」もされている状態が露わになり、驚き、困惑しました。対象化し見る意識は自分を疎外します。自分の自覚では体の表面の感覚が浮き彫りとなり、表面の感覚で反応していることはあまりにくだらないことばかりです。取るに足らないことばかりを気にし、やることは端々に外れ、先へ行けない状態です。まさしく「進行をじゃますること。あるいは妨げることを意味します」と書かれていたメッセージの「阻害」とはこの状態であることが否応もなくわかる経験となりました。普段、この状態で生きてきたのかと唖然としたのです。そして「疎外」はいつも襲われることですので、いつも自覚しています。この社会で生きることは、疎外されるとは常に身にしみ感じていますが、今日のメッセージにて現代社会で愛を実現するには「からだ」を抜きにしては考えられないと書かれてありましたように、体は神とつながることを求めてやみません。パイプオルガンの演奏をお聴きしている時は疎外に苦しみ、必死で神とつながりたいと望みました。自分が遠くに感じ、まさによそよそしいのです。やっと神と一体となれた時、至福の喜びに満たされました。生命にはこんなにも神とつながれない枠がつくられていたことに気づきました。枠に覆われている苦しみを感じた時、この世では疎外されずに真の自分を実現したり、愛を実現できないことを身に染み、この世で生きながら実現できることをわかりたく必死でした。先生の音が体に響き、体の中に鳴ってくれることが救いでした。やがて空間と一体である生命を感じ、それも無限な世界とひとつである生命を感じられたのです。やっと辿り着けた「生きる場」に安堵しました。休憩時は登山をしやっと頂上まで登りつけてよかったと安堵している感覚でした。
第2部「天空」から
「地上の愛は天空と通じ、天空から「いのちのちから」が注がれます。今、天空ではどのような光に満ちて、我々のいのちのもとにはたらきかけているのでしょう。大空に目を凝らせば、光の舞いが新たな時を伝えてくれます。地上で生きる「からだ」は「愛」を中心に整われていきます。一瞬の間も逃せません。」
とても心に染み入り、そのままわかるメッセージに喜び生まれます。が、またもや、天空から注がれる「いのちのちから」を阻害する意識が壁となっている状態を自覚しました。生命のことがわからずに意識だけが先行していく人間の傲慢さに嫌悪する気持ちが浮き出てきます。良い大学を出て頭が良いと思っている男の人がモノを言う時の傲慢さが心に浮かび、こんなに傲慢になれるのは人間ではないと怒りを感じる自分が浮き出るのです。生命のはたらきをそのまま意識でき、言葉にできればよいと心の底から願います。生命のはたらきをわからずに自分を疎外した意識で人やまわりを対象化し、批評したり、神の如くになっていく意識で物事や人を評価しモノを言うことがいかに生命汚れ、愚かであるかを見ます。自分の内からは一切なくしていきたいと真から望みます。過去は一切いらないとも身に染み感じました。愛を阻害するものにより支配されてきた意識や、生命を覆ってきた枠などはゴミによりならないことと見え、生きて生まれ変わりたいと心底望みました。ある瞬間、夜空に輝く星になった感覚となり、地球を見ていました。黒い闇がかかっているところ、汚れを吹き飛ばしていく風が吹くのです。私の頭も無限に注がれるはたらきかけを追い払うような曇りが見えます。おおいなるはたらきかけは更にはたらきかけてくださり、闇や曇りを祓って下さいます。頭を垂れ、愚かさをお詫びし、感謝のきもちが溢れます。その後は胸の内に先生のピアノの音が鳴り響き、共に演奏しているように軽快で楽しいのです。胸が感動により動き続け、天空がひらき、自由に飛翔する鳥のように感じました。飛べない鳥が機を伺っている様子も見えました。機にのり鳥ははばたき、飛翔しました。無限な世界を自由に飛翔しています。時を活かせば、飛翔できるとわかりました。喜びあふれ、感動に震え、コンサートは終わりました。アンコールでは胸が感動で震え続けました。言葉によっては表現し尽くせない程感動しました。この感動を世界中の人と分かち合いたい自分の真の気持ち、願いを確認しました。生まれてきてよかったね、と喜び合える感動、人間はこのように生きていけるのだと世界中の人と分かち合えれば幸せと感じます。2月のはじまりのコンサートは、生きて生まれ変わる経験となりました。2月1日には新しい時代は新しい生命となり生きることをスペインからの椿の写真を見て教えられ迎えました今日のコンサートでしたので、真に新しい生命となり新しい自分となれましたことに喜びいっぱいです。
お腹の底に見える世界中につながる道は「宇宙樹」のようだと気づきました。目を閉じ、生命の光景を詩に書く時、宇宙樹を見ます。天空から注がれる光を今日のコンサートで見させていただき、経験させていただきました。生命の内に立つ宇宙樹に天空からの光が注がれ、今日経験しました感動は世界に伝播すると感じることができました。
少ないですが、お誘いした方から京都に来てくださるとのお返事をいただき、心が触れ合うぬくもりを感じ、帰路は心がふれあい、コンサートをお伝えさせていただくことに心から感謝しました。これからは疎外されることなく、内面美しく人間とし生きることでコンサートをお伝えしていきたいと望みます。ありがとうございます。