春告花
空気に光り輝く華を見つけ、近づくと、白梅が咲いていました。いつも寒中に咲く梅の花を見つけると、暗く寒い冬が終わり、間も無く春が訪れると感じ、胸の内に光が灯り、喜びが生まれます。梅の花は春告花とは真にそうであると、その名で呼んでいた人を想い、昔も今も同じ気持ちで生きてきたことに触れるだけで、時空を超え、たくさんの魂と触れ合えることが生きる力となっています。今まではちょうど2月の母の誕生日の頃に咲いていましたので、梅の花を見ると、母を想います。今年は早くも咲き始めています。
京都、八坂に「高麗ギャラリーカフェ」を創るきっかけになったのは梅の花です。八坂神社の境内に咲く梅の花に近づき、そっと顔を寄せると、懐かしい香りに誘われ、香りの方に目を向けると、とても懐かしい坂道が見えました。内に衝撃が走りました。どこで見た坂道かと遠い記憶を辿ります。内面深くを辿れば、私が生まれる前であり、それもかなり前であると気づきます。目を閉じ、聞こえるままにノートに詩を書きました。「ここに高麗を。。。ここに高麗を。。。」と聞こえるままに記しました。この地に行きた先祖の魂を感じ、この坂道を知っている魂を内に自覚しました。偶然の巡りの連続により、八坂の塔の真下に「高麗」の看板が立ちました。先祖が建立したと聞く八坂の塔の庭のような位置に「高麗」の看板が立ったことが、この地に高麗人が生きていた証と考えます。
最近は奈良への道で、涙し、号泣までしてしまう胸のうちが動いてならず、13日の「高句麗伝説」を前にしては、奈良の地から風が吹いてならないのです。魂が呼んでいるとしか考えられず、13日の「高句麗伝説」を生きて無事に開催できた時、5月13日は京都にて、14日は琵琶湖にて開催予定であります「高句麗伝説」に向かい、魂が躍動してならずに、興奮し眠れませんでした。奈良へも。。。と見えるがままに翌日14日には奈良の会場の空き日を確認していただくと、見えたままの15日が空いていましたので、仮予約をさせていただきました。申し訳ないことですが、奈良では、辛い思いをすることが多く、歴史的な因縁を感じてしまい、気持ちは進まないのです。それ故にお告げはあれど、躊躇してしまいました。が、13日の「高句麗伝説」にて、魂は表現されると光輝き、空間に光となりあり続け、共に働いてくださることを実体験しました。「高句麗伝説」の日の朝は富士山がいつになく、大きく高く聳え立って見えました。光り輝き、神聖なるお姿を表していました。地霊が報われると、空間も浄められると見え、高句麗伝説にて先生が存在を表せる楽器を用い、表現してくださることは、地も空間も浄めてくださることを今まで以上によく見えました。日本、世界の為になり、人類全体の未来の為になる世界で唯一、先生よりできないお働きと感服しました。私が大地から聞こえる魂の声を詩に表現させていただくことも魂が報われ、蘇ることを経験させていただき、日本に残る高麗の足跡を辿り、表現していくことは日本の為になると見える瞬間がありました。私にできることはこのことと受け止めました。できることは全て行い、本来はできないことまでもやっていかねばならない時代と考えますので、できることはさっさとやっていくことを身に付けます。薫る香り、風は奈良の歴史を掘り起こし。。。と聞こえました。京都、琵琶湖、奈良にて「高句麗伝説」を開催させていただくことにしました。
好太王様が現れたバリトンサックスの重厚な響き、音色が今も尚、内で鳴り響いています。再びお会いしたく、恋しい気持ちが生まれます。昨日のパイプオルガンの響き、音色にて出会ったイエスキリストにももう一度お会いしたい気持ちが強く湧いてきます。人間の真を学びわかりたいです。歴史の真実もわかりたいです。学校で学んだ間違ったことで歪められた頭では生きていけないことは毎回の先生のコンサートや講座にて目が覚めるように気づかせていただいています。何があっても人間の生命が尊ばれる世界を作っていきたい気持ちを実現に向かい、動きたいと考えます。今日も応用コースがありますことが大変ありがたいことと感謝します。ありがとうございます。