星よりも透明な生命の光の花が咲く
第一部「バイアス」
一般的に「バイアス」とは、偏見や先入観や思い込み、といった意味を持ちます。
なかなかやっかいな代物です。誰も免れることはできません。
「バイアス」といっているものの、多様な「バイアス」を
ピアノであらわそうという気持ちは毛頭ありません。
そもそもあらわせるものではありません。
誰にもある「バイアス」をかきわけながら、奥に潜むようにして輝いている
生命の光をあらわします。できうれば「バイアス」から自由になっている有様を
とくと経験して、これからの人生に活かして頂きたいのです。
「バイアス」には様々な種類があります。
一般的にいわれるように、それぞれの「バイアス」の特徴をつかんで
意識的に「バイアス」に囚われないようにするのは容易ではありません。
念のために申しますが、「バイアス」など無いと思っている人が
最も「バイアス」が強いのです。
第二部「愛こそ」
愛こそバイアスに満ち満ちています。
愛が満ちているわけではありません。
格別に愛とはいわなくてもバイアスから自由な関係でありたいものです。
さらに愛の世界のままに飛躍、飛翔を望まない人はいらっしゃらないでしょう。
愛は、神秘というバイアスに親和性があります。
いろいろ厄介ですが、実は「愛こそ」何にも増してシンプルです。
今日も大変タイムリーなコンサートメッセージに救われました。昨夜のコンサートで、次元を上げていただき、霊魂から離して頂き、救われました。体感はまるで変わりましたので、元に戻る事はないとわかりながらも、ずっと苦しんできた事なので、また。。と不安がよぎりもしました。その時に自分の体を覆うようにしあるフィルターのように見えた偏見、観念により人や物事を見る意識が真実を歪めていると気づいたのでした。今朝は、今までになく、健やかに目覚める事が出来、生命の内は、感謝で泣いていました。胸が塞がれていると、生きていけない苦しみを感じます。久しぶりに健やかな朝を迎えました。自分がフィルターと表現した事は今日のコンサートメッセージにてバイアスとわかりました。昨夜何とか解決したいと考え始めた事が今日にはコンサートテーマとなり、解決出来る幸せに心から感謝し、コンサートが始まりました。心臓のまわりを綺麗に洗い浄めて頂いていると感じました。そう見えました。とても気持ち良くて、ありがたくて居るだけで幸せでした。人の目も沢山見えました。人にに見られ、奥に引っ込む自分も見えます。自分を守る為の偏見もあるのかとも感じましたが、人との堺があり、歪んでみてしまうまさしくバイアスがあります。人からも歪んでみられるバイアスがあります。バイアスは私の心臓を曇らせ、苦しみとなっていました。心臓のまわりをお掃除して頂き、洗い浄めて頂き、バイアスはなくなりました。とっても楽になり、生きていける力が生まれます。
第二部では、スタートからどこまでも澄んだ繊細な演奏に高句麗の国創りを感じました。高句麗時代に大陸で、豊かに楽しい暮らしを営んでいた美しい高句麗人が見えました。まさか、未来に国が滅び、国を去るよりない運命が待っているとは想像もできなかったでしょう。天と共にある暮らしは豊かで幸せです。高句麗人の魂がたくさん見えました。私を支え、助け続けてくれた事が見え、涙しました。そして、これで、私が生きる基盤は作られ、土壌もあり、環境が出来上がったと見えました。三鷹の地は先祖代々生きてきた地です。土壌は作られたという事は、魂は報われたのだと感じました。胸の内は涙よりありません。そして、水よりも透明などこまでも透明な花が心臓に咲いたのです。美しい花です。水の花のような光の花のような透明な花に感動しました。心臓の光は愛を表す事もわかりました。ピンクの光で生まれた私は、生きていけない世にあり、たくさんの存在、魂に助けられ、生き延び、先生に出会えたのです。私が先生に出会えた時、世界で三人よりピンクの光の人は生きていない、一人はもう亡くなったかもしれないと先生からお聞きし、今生きて先生に出会えた事の意味を深く受け止めました。先生からピンクの光はピンクピンクのピンクではなく、どこまでも透明な星よりも透明な光とお聞きした事は片時も忘れる事は出来ません。故に心臓が曇ると不安になります。今までの人生が見え、今日は新しく生まれ変わったようです。生きて生まれ変われた安堵、感謝でいっぱいです。ピンクの光をそのまま表しても生きていける時が来た事を教えて頂きました。一人一人、真の自分、生命の光を表し生きていける時が来ました。平和な世界を作っていけます。
今日もウクライナの方々から故郷が爆撃を受け、破壊された事を聞きました。昨日のコンサートで愛は愛の空間を生成する事を経験させて頂きました。今日も愛の世界では生きていける事を生命をもって経験しました。世界へ届いていると見えます。
ありがとうございます。