KEIKO KOMA Webサロン

明治38年


自分の生まれた時代はすでに戦後も戦後、両親の生まれた時代も戦後であり、テレビの番組では戦争中のことを簡単に軽く扱い笑いを取るような内容もたくさんある中で、普通になろうとして普通に普通にと息をしてきただけで、おのずと日本人である誇りや人間としてあるべき姿を失ってきたことに、頭をかち割られる衝撃です。いつまで子供時代のことを、それも自分のことばかりいつまでもずるずると引きずっているのか、この弛んだ腹が本当に自分のものなのかと、つまんでみると紛れもなくこの贅肉は自分の身の一部です。「天佑神助」という言葉がなかなか入ってこず、やっと覚えました。凌雲の志も同じです。自分とは程遠いことと感じてしまいますが、もとはあったと感じます。また、私が簡単にものを言うと、若い人が影響を受けて同じようにするかもしれないので、馬鹿の振り、実際馬鹿なところはともかく、振りのところは、してはいけないと肝に銘じています。そんなことは、あってはなりません。こっちなんか見ずに、ちゃんと前を向いて歩いて下さいと言いたいところですが、子供も人も、当たり前に人の背中を見ます。講座からの帰り、先生のお顔から、勝手にですが「何をしにここまで来ているのか、ただ来ていて、これからの人生をどうするのか」と厳しく仰っていただいている気になりました。片付けるものは片付け、中途半端は止めるよりないと、今まで猶予されていただけだったんだと背筋を貫くものは、講座を受講したばかりのころ随分と怒られ茫然とした、あの現実をわかるよりない衝撃です。

まず仕事への取組み、姿勢を変えるとノートに書きました。すべての仕事です。講座の中で、「意識的に変えないといけないこともある」という表現をお聞きしました。本当にそうです。育ってきた中での考え方、認識、習慣は、意識して変えるのが効果的なこともあると感じます。明治38年。教科書で習った歴史では、年号の暗記や出来事の暗記だけで、生きていく要を学ぶに至りませんでした。いだきまで来て勉強を出来たことに、いだきしん先生に泥を塗らない生き方へと変えていかなければいけないと少し焦ります。焦ると余計泥を塗ります。焦ったり不足を感じたりするとパニックとなりやるべきことを先回しにし遅くなります。愛は不安なく一番素早く進めます。コンサートや講座、幻のコグリョカフェでの愛の経験を忘れずに・・・。世界中が変わることを望みます。ありがとうございます。

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三鷹市公会堂光のホールにて
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東京高麗屋にて
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高句麗 始まり第2弾