日々新しくなる
アントレプレヌールサロンから、また新しいコンサートをありがとうごさいます。
経験を書き記すといっても、自分が何を経験したのかよくわからない。とにかく新しく生きる生命にとって必要だとコンサートへ向かう。今、今を主体的に生きられないと溜まっていく澱みがあり、新しい生き方にはそういうものはいらない。生きているだけで汚れるので人間は滅びた方が理に適っているんじゃないかという思い。髪も抜ければ排泄もし、、、いや、でも違う。毎日きれいにし、自然の循環にたわむ生命であれば、汚くはない。美しく生きたい。そんな祈りだけで聞き入る14日のコンサート。
12日のコンサート、13日のアントレプレヌールサロンから続いている。戦えないことは今を生きられないことだから、澱みが溜まり美しくないかもしれない・・・生まれて初めてそんなことが浮かぶ。いや生まれて初めてな気がするのは私が年を重ねたためで、ほんとうは小さい頃には知っていたと気付いている。
より良く生きたい。でも出来ない。苦しい。なぜ出来ない?変わるのが怖い。そんな単純なこと?すべての汚いものが襲いかかってくるようで怖い。だからいだきで生きる。いだきは、美しい生命の源だ。いだきなら、大丈夫だ。大丈夫でなくとも賭けていくのはここしかない。より美しく生きられるのは。
嘘、とか、偽りに、死にたくなる。自分でないものの真似や振りは、すごく疲れる。逆に、真や本当のことだと生きていける力が湧く。気付くと、『自分』が薄まっている。もっと早く鋭く嗅ぎ分けられるようになれば。
もしかして人をより精度を上げるはたらきとしてサポートしてくれるのは習慣かもしれない。習慣を見直すべきかもしれない。