秋の五女山
母が亡くなって2回目の高句麗伝説は、何度も見ている五女山城ですが、石垣のひとつひとつの積み上げられた様子に、東明王様の生きていた息吹、精神を今まだ以上に感じられ、こんなに美しかったのか、と生命躍動せずにはいられませんでした。今頃も紅葉で鮮やかな黄金色の木の葉に包まれる五女山に身を置かせて頂いているような錯覚に陥りました。この光景を私はもう一度見たかったので生命は喜びます。そしてこの季節に亡くなられた東明王様の今も魂ともにありともに生きる高麗さんの存在に、受け継がれる高句麗の精神をまざまざと見、私の心には、3歳の頃、家族や社会、世界の平和を祈り手を合わせている幼い高麗さんのお姿をそっと陰から見ているお父様の姿まで目に映るのでした。
先生のバリトンサックスの輝きと大きさに度肝を抜かれ、吹かれるお姿はかっこよすぎ、音は自分の左半身を突き抜け、まるで宇宙の電気をそのまま浴びビリビリ痺れたのでした。悪霊が抜けたのだと感じます。先生の演奏とともにある高麗さんの即興詩はあまりにも素敵で、神々しいあまりに私の心は魅了され続けるのでした。
おおいなる存在の演奏と即興詩は、内なる魂、存在、この身を清められ、生命躍動していました。
神々しい空間に身を置きながらアンコールのバリトンサックスをずっとお聞きしながらいました時、ドーンと光に出会い、魂号泣します。一番お会いしたかった存在に出会え、幸せな絶頂でありました。新しく生まれ変われた、この度の、新生 高句麗伝説、今も蘇る至福の経験です。
翌日の学校では、暗いもの、明るいもの の報告が皆んなに知らされ、自身の身もそれらに関わっている何かを、感じるのでした。
高句麗伝説に向かう前の時間、新しいことをまた作っていこう、と言葉にしていました。
自分のやってきていたことの本質を、先日借りてきたヘーゲルの「存在と時間」の本の一文から教えられ、頭をハンマーでガツンと殴られた体感があり、こういうことだったのか、と、意気消沈もし、まっさらになった感じで、高句麗伝説へと突入させていただきました。
これからの再スタートに、ありがとうございます。
