KEIKO KOMA Webサロン

新世界の渦に身を置き


コンサートメッセージを高麗さんの書き込みから読ませて頂いて、特に一部の「日本にあらわされる「物」」は、なんて難しいんだろうかと思うと同時に、とても大切だとも、その端々の端正な音と文字の配列から身に染み感じました。今回のコンサートは、高麗さんの書き込みとコンサートメッセージの記載があったからこそ「そういうものだったのか」と感じ入ることが出来ました。私自身は新世界の渦の中に身を置きながらも何がなんだかわからなかったというのが正直なところです。自分が感じていることと高麗さんの書き込みのギャップを埋めるまではいきませんが、近づいていけるようにと考えます。

もののけ は悪いものなのかもしれませんが、ずっとそういったイメージの生物に成りたいと思ってしまっていました。人間ではなくもののけになって楽しく生きていきたいと思っていました。でもお金を稼ぐには人間になることとお聞きしました。人間として生まれたからには人間として亡くなることをしないと悔いが残るとも最近は感じ、今は人間になろうと考えます。

旅する中のこれまで関わったことの無かった方々との関りで、本音を表現していくことが先を切り拓いていくためにどれだけ大切なのかを実感しました。行動をしないと、「本音で生きる」も耳にタコが出来るだけというか、聞きなれた当たり前の言葉になってそのありがたみが実感できなくなります。この気付きを地元で応用しようとすると、「あの人は今もお前のことダメだと思っている」という声(頭の中)はじめ、過去の自分の在り方に首を絞められます。あれを言われたらどうしよう、これを言われたらどうしよう、自分はダメな人間だ、という子供ままの未熟な心では経営はやれないんだとわかりました。本音を実現しようとすることは、そのまま自分の業をなくしていくことに直結するのです。

業を無くしていく中では「やっぱり一生、地下に潜って、だれからも見られない場所で生きていきたい」と感じ思うことがあります。一生懸命やったり愛をもってやったつもりのことが冷たく否定されたと感じたりすると、あぁやっぱり私ってそんなに駄目なんだと思います。でも昔のように「消えてしまいたい」なんて思っても結局復活してしまうのでした。

地元で仕事をしようと考えるとき、スッキリといかず、いつもあっちを気にし、こっちを気にし、あれを待ってこれを待って、仕事になっていかず苦しみます。力の無さを認めましたが、この重さって何なんだろうと不思議です。本音から生んでいくという強さがもっと必要と感じます。地域を明るくしたいという本音から始まったことは確かなんですが、地元だとしがらみなどもあり、ただでさえ忘れがちな本音がもっと遠ざかりやすいとわかり、改めて挑戦、改めて訓練です。

ありがとうございます。

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