新たな流れ
三鷹コンサートの経験を経、父と母と3人で食事をしました。父が父の本命をわかることで私が私の本命をわかり、母は喜び、家族が一つになりました。全員がバラバラで苦しい数年が一つになる凄さを経験している今を疑う余地はなく、これが真と考えます。
宮城県にコンサートのご案内のお手紙を書きながら三鷹を中心にコミュニティをつくろうと動くことと東日本大震災の復興支援活動をずっと継続されているNPO高麗の活動に賛同しボランティア活動をさせて頂けることとは何一つ矛盾なく一つに繋がることを分かりました。高齢化社会に突入しすでにあちこちで高齢化問題に直面していることは、特に東日本大震災後の被災地の高齢化の状況を調べてみてもよく分かりました。高齢化社会の問題は日本のみならず先進国はじめ世界全体の課題であることを視野にいれ三鷹から発信することを考えます。コミュニティとは日本にはもともとなく、ヨーロッパの教会を中心にして人が生活の場をつくっていったことに由来することをお聞きしています。10代のころ父と同じくコミュニティについて質問をした時もやはり先生は教会を中心にしてつくられたコミュニティのことをお話し下さいました。先生の仰る通り、父のやりたいことと私のやりたいこととは共通しています。先生の存在が中心にあれば通じ合えることの凄さをここにも経験します。コミュニティには教会のように中心となる存在が必要であり、人はその中心と繋がることで安心し生きていける光景が先生のお話しから見えました。そのことを実現したい気持ちです。私はこの数日間父に人生かけていいものだろうか?父がもしも倒れたら?父がいなくなったら?と考えると不安な気持ちに正直駆られていましたが、今日、家族で話し合う中で私は父という存在は有限な時間の中での親である以上に、生きる上での大事な魂、精神そのものであると考えていることをわかりました。なので父のことを人に話すことは私自身の魂を語ることであり、人に通じるのだとわかりました。周りは父の経営する法人を継承することを私に期待していることはわかっていますが、父はそのように望んではいないことも分かっています。本来人は病気であろうとなかろうと最期まで幸せに豊かに生きていける存在であることを証明したい魂が父にも私にもあり、その精神を柱とし地域づくりをしたいだけなのです。私が一人でゼロからやっても、結局ここに行き着くのだろうと感じます。が、父と共にやれるのなら、自分一人で考えているよりもはるかに大きな未来を実現できると感じました。
地域づくりの根幹にある基本は人と人が生命交流する愛であることをコンサートでは経験しています。そのことを共感できる人と出会い、真に人が繋がり生きていける社会を実現するのはこれからです。
ありがとうございます。