新たなゆく手
昨日の22日は高麗恵子スカイロケットセンターでのビデオ講演会へ参加すべく、表参道へ向かいました。コンサートが開催された世界の最先端の情報に、核心の場で触れたかったからです。
この日も高麗さんは、そこに居るだけでもう世界平和のような存在感とお姿でした。その地上の美のようなお姿は、何があっても人間の内と外がこんなに美しいことで、すでに世界は平和へ向かっているように感じるお姿でした。ビデオ講演会をお聞きしているとき、私自身の本心とか、健やかに生きてゆける道のりを見出してゆけるようでとてもたのしくありがたい時でした。私は、つまらない日常に埋もれて生きることよりも、もっと人間が元気に生きていける新しい世界を作ることが好きであるということもよくわかりました。
ぼんやりと高麗さんの後ろの壁に掛かる白頭山のお写真と詩を眺めていたら、「源にかえれたらまたそこから生まれて、始められるかもしれないな」という言葉が私の内から生まれて、ようやく近ごろの自分自身の限界を超えられるヒントを得たように、嬉しいことでした。
1階に上がり、高麗さんに新作のマーブリングのコートをお見立ていただいたのですが、コートというのは私にとりましたら隠れようがないというものの極めつけで、もう隠し、隠れることができないので、表に出るそれも全面に出る極めつけのように感じていました。それは私にとってはとてもこわくて、私の内で何かが抵抗して、そしてかなしさすら感じていました。自分の首の後ろがざわざわして、首の後ろにいる何かと、お別れをしているようでした。隠してきた今までの人生よ、さようならという気持ちでした。
それなのに、その場にいた女性たちの、コートを決めてゆかれる男気あふれるような決断力、というより決めるより他の選択肢など、ないというエネルギーに後押しされて勇気をいただき、かろうじて私も決断できました次第です。とてもかっこいい勇者のような方たちの、時代を先駆け切り拓いてゆくようなパワーでした。私も美しいことをそのまま現せる人生を、ここから始めますという気持ちでコートを持って府中のコンサートへ向かいました。
パイプオルガンの音は、宇宙の大地を切り拓いているようでした。この広い宇宙のどこかで、空間であるはずの宇宙なのにそこに大地が切り拓かれるようで、さらにそこで光り輝く土壌が耕されていっているようでした。同時に私の生命もどんどん元気に輝いていきました。演奏で開墾されそして豊かな土壌が育まれているところは、人間が健やかに育つことができる大地のようでした。その時、前日の府中でのコンサートの時、私の内面にはかつてないほどに広く果てしない空間が拓かれていたことを思い出しました。私の内面が、丸ごと宇宙となっている位に、広かったのです。この豊かに切り拓かれた大地という空間を、人間の内面がキャッチして通ずることができれば、人間の生命はその大地に根ざし、光の土の上で、育つことができるのではないかという経験をしました。それから、宇宙ごと切り拓くような演奏によって、先生のコンサートで表現される美しい世界と阻む枠すらも壊れてゆくようであったのです。
天地創造の風と香りは世界へと駆け巡っていました。それからその耕された土壌には、先生のピアノの音から光の雫が生まれているように、そのひとしずくから、小さな生物や植物がたくさん生まれ豊かに育まれる様子で、生命の潤う美しい光景でした。
そして、生まれて育まれた沢山の種類の生命が伸びやかにどんどん成長していった先には、それはそれは美しい実がたくさん生まれていたのです。その実を、何故か私もひとついただいたようで、受け取ったところでコンサートは終演しました。たくさんあったので、この実は他のどなたかも受け取っておられるように想えて、このゆく先に心を馳せる今です。
この日1日の経験で私の生命の中心に、光の流れるような道を整備していただいたような体感です。薄暗かったり重たくまとわりついてくる運命がない道、それでいて何かが決まっていたり決められた道ではない…。
人生を共に歩んでゆきたい道が今ここにあります。ありがとうございます。