新しく始まる
コンサート前に、初めて京都府立植物園に行きました。こんなに近くに植物園があるなんてまったく知らず、ワクワクしながら花を眺め、話しかけながら歩いていると、不思議なものですね。まったく知らない女性お二人と、花を通して話が弾み短い時間に心が通い嬉しくなります。花壇に咲く様々な種類のコスモスが、風に一斉に揺れている光景は、ゆらゆらと儚く見えます。下の方で健気に咲いている小さなコスモスを見つけた時、屈んで見ました。そこから見上げるコスモスたちは、風に揺れながらも顔をしっかりと上げ、しなやかな強さが一つ一つにあります。そして当たり前ですが、同じ花は一つとしてありません。私に生き方を教えてくれているかのようで、しばらく見つめていました。
コンサート第一部のメッセージを受け、本質を活かす私の本質とはと、考えながら演奏をお聴きしました。終了間近に、「成るように成る」と言葉が生まれ、更に本質を考えます。第二部では、湧き起こるように様々なことが浮かび上がります。そして、言葉として浮かんでは消えていきます。内容は覚え切れないほどありながら、瞬時に消えてしまうので何も覚えていません。過去の記憶なのか、今の思いなのか、いずれにしても要らないものとだけは分かりました。先生の音が、体の神経一つ一つまで叩き込まれるかのように響き渡ります。根こそぎ、丸ごと変わる体感です。どこまで轟渡るのか、全く分からない世界に身をどっぷり置く時、私は心底この世界、スピード、躍動感、何もかもが喜びと分かり、この世界を求めていると分かる今、今の経験です。アンコールの第一音が、お誕生日のお祝いの音に聴こえ驚きます。なぜお誕生日なのか、何もかもが新しく始まる日として、お祝いなのか分かりませんが、高句麗伝説に引き続き、とんでもないコンサートを経験したことだけは確かです。ありがとうございます。