新しい歴史を創る真の人生を生きる
とてつもない迎賓館でのコンサートの経験は、生きてこの社会で真の自分を実現する人類史上初めての人生を生きる真のスタートとなりました。自我を超えたい気持ちで臨みました。自分の意識が絶対となることや、この世では誰もが当たり前にように生きている最も嫌悪する所有関係となる男女関係はじめ、人との関わり、仕事をする上で枠の中に従い収まるよりない事等々、この世の仕組みで生きることの不自由さや窮屈さに限界を感じ、そのことを真剣に考えると気が狂うと感じました。おおいなる存在とひとつに生きるより救済はないことを身にしみます。休憩後のお話、そして演奏がはじまり、言い忘れたとのことでお伝えくださった事により、様々なことが紐解け、限界となっている世界内の世界の枠がぶち壊され、生きて真の自分を実現する生命と生きる状態を体感しました。高句麗は、武に秀で、戦いにおいては優れた力があったことを最近頂いた本にも書かれてあり、今までも知ってはいましたが、改めて戦いについて考えました。戦の時代においては、攻められたら戦い、勝つことより生きる道はないので、戦うより生きていけませんが、戦の時代を作ったのは人間であります。尊い人間の生命を殺すことは生命は傷つき、決してやってはいけないことであります。戦の時代という社会では戦いに勝つよりないという大義名分はあっても、生命はやってはいけないことをわかっています。先祖の霊魂が苦しいまま悲しいままにあり、先生に出会った時、言葉にならずにただ嗚咽と号泣を繰り返したことを今も尚、体をもって覚えています。死んで全体となるとは哲学的には言われていても実際は死んで全体となることはないとの先生のお話は身を持ってわかります。地に埋もれ、空間を浮遊し、うかばれない霊魂は行き場はないことを生まれた時から見てきました。感じてもきました。今の時代も生きる為にお金が必要であるのではたらきますが、はたらいて自分を殺し、見失い、体まで壊したら、この社会では誰もがしている当たり前のことのように思えても生命のはたらきには反しているのです。社会の中で作られたルールであっても生命を基準としたら生命のはたらきに反していることであれば生命を殺していると同じです。人間が作った社会の中で生きるということは、自分をつぶし、失い、部分となるより生きていけないのです。こんな人生を生きる為に生まれてくる訳がないとはずっと苦しみながら答えを探し求めてきましたが、今、いだき講座を受けた私たちは社会の中で真の自分を実現できるのです。人類史上初めてのことであり、新しい人間の歴史はここからはじまります。
先生の音は、鏡が割れる音のように聞こえたり、巨大な建物が音を立てて壊れていく音に聴こえたり、迎賓館という建物も壊れさり、地球外に飛び出したようにも感じる凄まじい迫力でした。世界内の世界はぶち壊れていきました。私は神の元に帰りたいと望みました。今の時代にあっては今まで現れ出たことのないおおいなる存在の元に帰りたいと望み、おおいなる存在に抱かれた時、生命の内は涙よりありませんでした。人間が作った社会で生きることで身が裂かれる程の悲しみ、苦しみを経験しました。先生に出会えているので、今まで生きてこれましたが、今からは、本当に生まれ変わりたいと望みます。自分の生命、生きている状態が生きて全体とならねばこの世で真の自分を実現できませんが、今日の経験をもってやっと真にスタートを切れる時を迎えました。とてつもない経験は、コンサート後の八坂「高麗」にてのビデオ講演会でお話させていただき、更に深まりました。
本当に久しぶりに八坂の塔にご挨拶させていただきました。準備は万端です。表も裏も高句麗魂が勢ぞろいし、共に在ります。魂も蘇り、この時を迎えられたことをどれ程喜んでいることでしょう。ここで生きるより人間としての人生はないのです。そしてここで生きることは人類史が変わり、新しい歴史を創る人生です。先祖の代表で先生が生きておられる時代に生まれ合わせ、夢にも見ることのできなかった夢のまた夢の、人間とし生きていける人生を生きていけますことにどのような言葉をもっても表現し尽くせない感謝、喜び、幸せを魂共にし、新しい人間の歴史を創っていきます。ありがとうございます。