新しい時代を生き延びていく経験
いつも終わりははじまりであります。奈良での「高句麗伝説」が終わった時、はじまりとなりました。今年最後の応用コースも終わり、新しい年を生きる在り方ははっきりと示されました。全体の生命圏で生きていることをわかる生命が生き延び、新しい時代を生きていくとのお話はよくわかります。アナログシンセサイザーの音から見える光景や図形から、今まで知らない生命、生物がたくさん見えるようになり、最初は躊躇いました。やがて、目に見えないからといってなきがもののようにし、人間だけが生きていると思い、生きている人間の傲慢さ、愚かさに、自分を恥じ、畏れを抱きました。人間だけが生きている地球ではないのに、人間だけが生きているように生きている人間であれば滅ぶことは当たり前と見えてきたのです。今日の応用コースにて、先生がお話くださいましたが、目に見えない細胞を発見した人がいて、そのことをわかる人もいて。。。という事実には希望を感じます。10年間顕微鏡だけを見ていたので、偶然により発見できたとのお話も甚くわかります。何もしていなければ偶然は起こりません。そして、偶然が起こり、人類が生きていける為に必要なことを発見してくださる環境を創ってくださっている先生の御働きがよくわかります。コンサートにて常に、新しい世界が創造され、生命に負担がかかるエネルギーは整理してくださっています。言葉に書けば簡単に書いてしまいますが、昨日の奈良での「高句麗伝説」でも身をもって経験しましたが、生命に負担がかかるエネルギーを整理できる方は先生よりおられないことをよくわかっています。コンサートにて生まれる新しい空間があるので、偶然により、発見される真が現れるのだと見えます。故に私はコンサートをたくさん開催させていただき、真が現れる世の中となることを切望しています。
奈良での開催にて「高句麗伝説」を開催した後に考古学者が偶然発掘された遺跡や遺物から歴史の真実が世に現れることが続きました。地に埋もれる魂が解放され、闇の幕が一枚づつ剥がれていくうちに、真があらわるのだと見えてきましたので、仲間うちでは奈良、京都、琵琶湖での「高句麗伝説」は発掘調査と表現するようになったのです。はじめは、2008年の京都にてはじめて、「高句麗伝説」を3回続けて開催した後、新聞を見ていた時に、京都にて高麗寺跡が発見されたという記事を見、大変驚いたのです。この事と同様にあらゆる分野でも、真を覆っていた覆いが剥がれると、空間が澄んできますので、真があらわると見えます。今日のお話は真に希望を感じ、今後もコンサートを開催し甲斐があると気概が生まれます。
アナログシンセサイザーの音に肌が慣れてきたと感じる今です。最初の頃は、見たこともない生物が現れるとドキッとし、戸惑うのです。人間中心の生命反応になっていたと今になればわかります。今は、あらゆる生命を感じられる生命反応となっていることがありがたく、生き延びていけるように、このような経験をさせていただいていることがわかる毎日です。今後のコンサートも生き延びていけるように全体の生命圏で生きる生命を経験させていただけますことに感謝よりありません。まずは年明けの1月2日京都からはじまります。ありがとうございます。