新しい日
今朝は窓を開けても鳥の声が全く聞こえず、昨日とはまるで違う日と感じ、毎日変わる世界、空間をしみじみと考えました。迎賓館に着いても鳥の声はせず、人がうごめき賑やかでした。人間が動く時は鳥はいないこともおかしなことと考えながら、今日はスタッフも気が緩んでいることは隙になると感じ、八坂に集合くださる方々にもお伝えしようと伝言しました。案じた通り、よく見られる日でした。今日の演奏にて、東明王様の詩を詠んだ時に、風の音で王が動くことを生命で感じ、同時に動く軍団の生きている状態がよくわかります。生命ひとつ、魂ひとつで生きれば、戦国の世にあっても美しく俊敏に隙なく動けるので、生き延びていけます。先生の演奏から経験する高句麗軍団の生きている状態に憧れます。今とこれからに必要なあり方と考えます。
今日も中庭で皆様をお待ちしている時、ふうーと風が吹いたのです。まもなく到着すると風が教えてくれました。すぐに車が到着しました。いつも鳥の声も吹く風もメッセージを下さいます。
ギターから始まった高句麗伝説は、深い森の中に一筋の光が差し込む光景からはじまりました。国創りの光景です。私の生命の内では2000年以上前の高句麗の地の息吹、土の香り、吹く風、光、空気まで鮮明に在ります。先生がその当時のことをそのまま表現してくださるので、私の生命の内にある記憶があらわるのだと感じ、人間の生命のはたらき、魂のはたらきの神秘的なことに身震いします。このようなことを考えられるのは先生の表現をお聴きできるからです。今ここで高句麗時代を経験できることは私にとっては最高の幸せです。
海の底、宇宙彼方まで連れていっていただき、多次元、多世界に生きる生命を感じることができました。多次元、多世界が交差するど真ん中に私の生命の深奥に輝く真の光を見ました。人間の生命の真の光とは畏れ多い存在であると畏怖を覚えます。ここは全て在り、永遠です。ここからはどうしても表現できませんでした。
最も美しい水の雫の美しいことに驚き、全てが洗い流されました。真の美は世界を変え、全てを変えることを目の当たりにしました。先生の表現により、新しい光が生まれます。すると今までの世界は自然と壊れます。そしてまた新しい表現が生まれ、新しい世界が生まれ、それまでの世界は壊れます。一瞬前の世界であっても新しい表現が生まれたら、今までのあり方は変わるのです。一瞬一瞬新しい光が生まれ、同時に新しい世界が生まれます。瞬間瞬間生まれ変わる生命です。人間も同様に生きる生命であります。止まることなどできない生命ということを生命をもってわかりました。
最後に「父」の詩を詠ませていただき、再び地上に降り立った体感でした。昨日とは全く違う世界を経験させていただきました。
皆様をお送りさせていただく時は鳥が次元を超えた美しい声で鳴いていました。喜んでいることがすぐにわかる声にとても安堵し、共に喜びました。この時は鳥の声が車に乗る時を教えてくれました。自然の生命と共に生きていると変な心配もせずに、全てが的にはまる動きとなります。大変ありがたいことと感謝します。
終わった時の先生の一言から気づくことがありました。私は目を閉じ、即興詩を詠ませていただきます。先生の音だけを聴いていれば良いのですが、会場も見えてしまうことがあり、目を閉じていてもいろいろと見え、ふと気にかけた瞬間に、時を逃します。この状態をも先生は生命ひとつで生きておられるので、即興演奏が変わってしまうことに気づきました。最近感じることが多いのですが、新型コロナウイルス感染拡大により、緊急非常事態が発令され、いつもと違う動き方が必要とされています。普段の在り方がそのまま現れ、隙だらけと感じる場面が多く、私は頻繁に注意をし、打ち合わせをしています。自分のこととし身に付いていないので頻繁に話していないと忘れるので隙となることは当然です。世界を変え、世界の平和を生命賭け実現しようと生きておられる先生のはたらき、いだきのはたらきが自分のこととなれば、生命ひとつで生き、なにをも入り込む隙はないと痛感します。平和を実現する活動を見ているだけでは自分のこととしては身に付いていないということが素通しに見えます。気持ちがあれば、今こそ成る時と感じます。高句麗軍団のように生命ひとつであれば、すべてひとつに動いていけると「高句麗伝説」で経験していますので、今こそ活かす時と感じてなりません。皆で新しい世界を創り、世界の平和を実現するように生きていければ、どれだけ早く良い世界となるでしょう。創る側で生きていないと邪魔する動きをしてしまいます。普段の生き方が今程現れる時はないと身にしみる毎日となりました。一人一人がどう生きていきたいかを決める時と身にしみ感じます。平和を創る側で生きるなら、実現できるように生きることと身にしみ感じます。そんな日々を生きながら、私は手足を痛め、いつものように動けずに不自由な暮らしをしています。が、お体の不自由な方のことをよく考えるようになりました。自分には必要な経験と受け止め、良くなるように生きていきたく日々訓練と考えています。
今日は、まだ日が沈む前に全てが終わったので、足の訓練と考え、近くを散歩しました。こんな時間をとれたことはありません。まだ外が明るい夕暮れ時を一人で歩くことは楽しいことでした。花々が咲き、風は気持ちよく、歩くだけで楽しかったです。次第に暗くなり、軒並み私の苦手な動物が門番のように座っています。逃げることはなく、いつもじっと見られるので、私が避けて通るのです。軒並みなので、もう帰りなさいというメッセージと受け止め、帰る方向に向かいました。あまり知らない道ですので、方向だけはわかりますが、よくはわからずに探しながら歩きました。突然宇宙基地のようなこの世のものではない家が目に飛び込み、その別次元の明るさに一瞬にし胸が拓きました。次の瞬間、工房であり自宅であると気づき、笑いました。人間が空間を作るということを別次元の明るい空間を見、わかりました。内面が明るいと空間も明るいです。この明るさは生きる希望と感じました。そして宇宙基地のようなのです。内面が真の光であれば、宇宙と交信できるのだと大変うれしくなりました。
皆で宇宙基地のような内面で生き、平和な世界を創る側で生きていきたいと望みます。今までの人間の生き方では生きていけず、先はないとはっきりとわかります。今までの闇の社会に染まっていると真っ暗により見えません。皆で美しい生命のままに生き、先生が即興演奏をされる場を共にできれば幸せと感じます。
新しい日をありがとうございます。