新しい愛
春の嵐が吹き荒れ、傘を差すと、いっぺんに逆さになり、とても差せるものではない状況で雨の中を歩き、この世の用事を済ませ、府中の会場に着いた時には疲労困憊でした。この日に備え、過ごしてきましたが、起きた時には胸が殴られたように痛み、息をする度に背中に響き、苦しい状態でした。最近はどんなに苦しくても動くと決めていますので、予定通り、出かけました。先生にも助けていただき、用事を済ませ、無事にコンサート会場にたどり着けました。
先生の演奏を前に、自分の在り方は現れます。今日はまるで魔界にいるようでした。何故と考えればこの世のことに触れているからとしか考えられません。メッセージのタイトルは「好運」です。カギカッコで幸運と書かれています。大変申し訳ありませんが、今日は右手が痛んでいますので、メッセージを掲載できません。メッセージの中に「突然起こった「好運」であっても大多数の中で多数に合わせた時、「好運」は活かされません。活かされないどころかかえって不幸になる傾向があります」との表現がとても気になり、考えました。せっかく先生に出会えても大多数に合わせた時は不幸になるとは頷くよりありません。先生の演奏からはいだきの風を感じました。空間は全く新しい世界になっています。空間を吹く風はいだきの風です。新しい流れもいだきの流れです。この風に乗り生きていきたいと望み、この流れに乗って動いていきたいと望み、これからは世界全体がいだき空間となると見えます。時は来ています。この世がいつも嫌でたまらずに生きてきた私は、神聖なる世界で生きていきたいと生命の奥から望む気持ちを実行していくより生きていけないと考えました。
第2部でも魔界にはまったかのような状態に驚き、何故こうなのかと不思議でならなかったのですが、古い生き方は死んでいくと生命をもってわかりました。今までの社会は、魔界が作ったものとは最近も甚く感じていたのでした。魔界も力を失せた今、魔界で生きていたら終わるのだと見えます。開演前も疲労により力が入らず、フラフラでした。コンサート中もフラフラでした。今までの生き方をしていたら生きていけないと身を以て感じていると、生きていける生命の軸が見えてきました。その軸は新しい愛です。新しい生命の中心は新しい愛です。新しい愛とは、大いなる存在とひとつである愛です。今までの愛は大いなる存在と分断していくことをいつも悲しいと感じてきました。男女も所有関係となり、愛とは程遠い関係であり、まさしく魔界の住人となっていくことに嫌悪していました。大いなる存在とひとつである時、健やかに皆が生きていける世界を作っていけます。大いなる存在を切断し、生きることなどあり得ないことと今日は断言できる程、鮮明に見えました。新しい愛と言葉が生まれた時の先生の演奏は、新しい愛が花束となり、空間に咲く花とし輝いています。その花束を支えながら讃えてくれている図形が見える演奏でした。拍手をもって讃えてくれたように感じ、とてもドラマチックな瞬間でした。これからは新しい愛で生きていく時代です。いだき始まりの日に新しい愛が生命の中心軸となり、生きていく道が決まります。古い生き方は終わりにするよりないとしみじみ感じました。過去は全部忘れてしまえばいいだけとも感じた時には笑いまでこみ上げました。体感は生きて生まれ変わったようです。古い自分は終わったのです。新しい人生を生きていく始まりをありがとうございます。