KEIKO KOMA Webサロン

新しい人生


第一部「音の正体」

我々はつい音についてこう考えます。
振動、周波数、波形、音量。
これらは音そのものではありません。
これらは結果です。
音の正体は極めて単純です。
差が、差として現れる瞬間、すなわち、無音と無音の差、
静と静の差、在ると在るの差。
何かが加わったのではない、何かがかけたのでもない、
ただ、ずれてしまったのです。
音は人を変えます。
言葉や思想が人を変えられないのに。
それは、音は判断より先にとどくからです。
音は世界が分断される前の自分を
ほんの一瞬とりもどす出来事であります。


 

第二部「内面性」

情報過多という外的状況によって
内面性で感じ表現するという余地が失われがちです。
ここでいう内面性は、何かが「外に出る前に」まだ言葉にも
意味にもなっていない層が内面性です。
情報過多は、内面を圧迫するのではありません。
先まわりして占拠します。
感じる前に説明がくる。
考える前に評価がくる。
迷う前に答えがくる。
結果として、内面が生まれる前に処理されてしまいます。
何で人は疲れるのでしょう。
情報量の問題ではなく、スピードの問題でもなく、
ましてやデジタルの問題ではありません。
内面が外部に常時占領されていることから疲労が蓄積されます。
内面は沈黙を必要としているのです。
第一部でいった「音」の意味を想起して下さい。
愛とストレートにつながります。

待ちに待った先生のコンサートです。リハーサルの時に先生の弾かれるピアノの音が聞こえるだけで、幸せを感じます。ずっとこの音を聴いていたい気持ちが湧き出ます。今日のメッセージは、「音の正体」です。ドキドキしました。第一部の最後の一音にメッセージのすべてが表れているとわかった瞬間、喜びが迸り生まれ、目の前が拓かれ、覚醒しました。メッセージのお言葉「無音と無音の差、静と静の差、在ると在るの差」がわかったのです。何がわかったかを言葉に表すことができずとも、全体がひとつにみえ、すべてはひとつであり、一致していました。なんて美しいのでしょう。目が覚める経験でした。第2部は「内面性」です。人は何で疲れるのでしょう、との問いからのメッセージはそのままストレートに心に入りました。「内面が外部に常時占領されていることから疲労が蓄積されます」「内面は沈黙を必要としているのです」も受け止めました。音は言葉以上に多くを語り、言葉によっては表現し尽くせぬ微妙な感覚やニュアンスを表していると感じます。先生のピアノの音は、言葉では微細なニュアンスを表しきれませんが、まるで語り続けてくださっているように聞こえます。例えば、「それでいいのか」と問われたように感じる音がありました。何をという具体的なことは語らずとも、生命にとってどうなっているのか、人間としどうなのかが自ずとわかっていくのです。音は、人と人をつなぐことも経験しました。全体を表現しています。音から宇宙空間と表現したい感覚まで経験できます。そして音は愛です。2部では生命に負担がかかっている状態や非人間的なことが体から抜けていきました。私が、妖怪とか、野獣とかと表現するものが出ていったのです。戦闘的となり、争いを繰り返してしまう状態がなくなりました。今日から新しい人生が始まると感じていましたが、真にそうなりました。人間としての人生を生きていけることがうれしくありがたいです。ただただここに居ることが幸せでした。心底やすらぎ、体も休まりました。今日のコンサートに向かい、体の変化が始まっていたのだと考えますが、珍しく早く休んだ昨夜は深夜胃痛により眠れなくなりました。生命に負担がかかる状態が浮き彫りとなり、解決へ向かっていると感じていましたが今日のコンサートで一掃され、体毎変わりました。いつも痺れる後頭部も、すっきりと解放されました。真に新しい人生が始まりました。2部からアンコールの時には、宇宙空間に飛翔しているようでした。時間もなく、何もない世界ですが、ずべて在りました。最高に心地良い世界です。内面の深奥は宇宙空間と通じ、愛です。

ウクライナの方も大変素晴らしい経験をされたことをお話しくださいました。今ウクライナは1日2時間より電気を使えない状況にあると聞き、寒い冬を無事にお過ごしくださいますようにと祈ります。大変な状況の中で生きる世界中の人に今日のコンサートのエネルギーが届きますようにと祈ります。皆様と共に言葉に表現し尽くせぬ素晴らしい経験をさせていただき、感謝します。ありがとうございます。

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