新しいいのち
風の音を聞き、詩を読んでいると、この世は限界と見え、聞こえ、言葉に表していました。この世で何をしようとも解決はないと見えます。遥か彼方に通じる人間となることで、人間の生きる世界が無限な空間となると見え、これよりなし、と内面が無限な世界と通じ生きていくことでこの世の限界を乗り越えていく道を作ると決めました。その後にロシア軍がウクライナに侵攻とのニュースが流れました。先生のコンサートが抜け出し口であり、救いと身に染みます。
第一部「衆妙」
「天地万物の深淵な道理という意味です。「衆妙之門」といって、万物がそこを通り抜けて出て来る門。という意味があります。さて、この門ですが、身体の内面の奥の奥に、ここで云う門のはたらきをしているところがあります。普段は意識できません。門が閉じているというわけでもありません。ただ覆われています。微かにでも門がひらけば、深淵なエネルギーが通り、何が道理なのか何方でもわかります。門がひらかないことには先行きはありません。」
衆妙の門のはたらきをしているところが、身体の内面の奥の奥にあるというメッセージにドキドキしてくるばかりです。「普段は意識できません。門が閉じているというわけでもありません。ただ覆われています」とヒントをいただいたような気持ちとなり、このヒントを心にパイプオルガンとピアノの音をお聴きしました。正解を求めるようにしている時は何もわかりません。ただ音を聴かせていただき、どのような経験ができるのかと未知なる世界へ向かう気持ちでした。ある音が胸に飛び込み、心臓と肝臓がつながるところがドキドキとしたと同時に即座に奥へと「ドッ、ドッ、ドッ」と入り込んでいったのです。そして一瞬にし、かぶっていた覆いがとかれ、神の眼が現れました。どこまでも澄み、深淵なる蒼い光であり、目でもありました。衝撃を受ける存在が肝臓に見えたのです。畏れ多く、身震いしました。同時に子宮には愛の花が咲き、愛のエネルギーが湧き出ているのです。泉が湧くように愛が無尽蔵に湧き出てくるのです。人間の生命には神が宿っていることを経験しました。愛は湧き出るようにあるとわかりました。昨夜からの課題もあり、自分の反生命的な意識はとことんなくしてしまいたいと望み、コンサートに臨みました。こんな意識で生きている限り、この世の闇や悪に食われ、闇のエネルギー源となってしまうことが耐えられなくなりました。こんな意識で生きていても生きている意味がないと感じ、今日でなくすと心の中で決めていました。覆いが解かれたら、神宿る生命が現れました。覆いが解かれた生命で生きれば、覆われている状態で生きている時の意識はなくなると見え、やっと人間になれる喜びがあふれます。生命のはたらきとは真逆な意識であると見えてからは、自分の意識で自分の体を壊していくのだと気づき、自滅とはこの状態であると自覚し始めたのです。この意識で人を見ることも、人と接することも非人間的な行為であるので、申し訳ない気持ちでした。日頃からこの意識が出てくると直そうと努めてきましたが、いたちごっこのようだと感じるばかりでした。覆いがとれたら、神と一体である生命があらわれ、生命と真逆な意識など存在しません。こんな経験ができるなんて。。と何度も夢を見ているようでうれしくてなりませんでした。ピアノの音は神の音でした。神あらわれ、神が新しい世界を創造し続けてくださっています。あらゆる世界、それこそ万物、空間と交わり、新たな世界を生み出し続ける音の連なりは神聖なる世界あらわれ、圧巻でした。神様と呼び、拍手より表現手段はありませんでした。何度拍手してもし尽くせません。素晴らしい演奏です。そして私はやっと生まれ変われた喜びでいっぱいです。
第2部「溢れ出でる愛」
「愛のちからは時間と共に落ちていないでしょうか。第一部で云った「門」がひらかれていれば、内の奥のさらに内から「ちから」が湧いてきて、理屈抜きに愛のちからになり、愛するちからが湧き出づります。いのち満たされて、さらに湧き出づる愛です。感覚や感性に囚われる「いのちのちから」ではありません。「無」ではさらさらありません。愛は溢れ出づるのです。」
「溢れ出でる愛」とは一部にて子宮から無尽蔵の如くに湧き出てきた愛の経験かと考えました。先生の音をお聴きしていると、万物としか表現できないものが存在している世界が見えます。万物は私の生命とひとつとなり、2部は万物と交流している経験でした。とても不思議な経験であり、今までの感覚では捉えられませんでした。「感覚や感性に囚われる「いのちのちから」ではありません。「無」ではさらさらありません」とのメッセージのお言葉の中身を経験させていただいていると感じていました。一部で経験しました覆いが取れて現れた神宿る生命と万物はひとつです。これだけ尊い生命であるのに、覆いがかかっているので、感覚や感性が作られたのかと考えてしまう程に万物とひとつである生命は感覚も感性も無ということもある訳がないと気づきはじめたのです。覆いが解かれた生命で生きる人が現れたら世界は変わると見えます。この世の限界を乗り越えていくのは覆いがとかれた生命となり生きることと見出しました。新しい命が誕生したのです。ありがとうございます。