KEIKO KOMA Webサロン

斬新さ、新たに、化ける


自分が彼女らの年齢だったころにはもちろんできなかったし、今だって果たして、もしものことがあったとして、できるかどうか。心にじんわりと広がっていく温かみは、とても不思議だ。前向きさのかたまりのようなエネルギーふたつ。お亡くなりになった方も本当にともにおられることを感じずにいられない。その反応の良い命の弾力に、つくづく様子を見てコントロールすること、煙に巻き時間を稼ぐことでしか関係の築き方をわからない擦れ切った自分をわかる。心臓が苦しくなって、翻訳するとおそらく「動きたい」となる。しかし頭は、どう動いて良いかわからない。先生の「みがいたような頭」という表現に、なつかしい可笑しさがこみ上げる。この可笑しさは、昔大家さんのおばあちゃんと遊んだときの感じだ。童謡の『むすんで、ひらいて』を歌って、最後は「その手を・・・頭!」と、津軽訛りで頭に手を置くおばあちゃんに、一緒に大爆笑したものだ。2、3歳の記憶なのに可笑しさも、おばあちゃんの表情や仕草、声も、かなり鮮明だ。内臓が反応して、自分の中に自然とある「笑わせたい」という欲求に気付く。でも、どうやって笑わせて良いのか今となってはわからない。諦めずに考えていくよりない。とことん、罪悪感は感受性を悪くするし動きを遅くするなと思う。

ビデオ講演会をお聞きしながら『生きることを極めたい』という本音が生まれる。

ソーシャルケースワークの本は、Kindleでは見当たらなくて、紙の本で注文することになった。酷い家庭環境から解離性同一性障害や鬱をわずらい、自傷行為、パニック障害、他、、、生活保護やアルバイトで毎日を生き延び、生きようとする若い人達がいる。なんとか力になりたいと考えずにはいられないが、やみくもに手を出してもダメということは、私はもう40歳なのでわかっている。もう一度大学へ行くか?わからないけど、いだきの話をちゃんと出来る自分になることは必須科目だ。

いだきの話といえば先日は久々に、お金を理由にコンサートを断られた。わかる。そうだと思います。

あっという間の京都事務所の1日をありがとうございます。

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