散歩の途中で
誰かの役に立ちたい、お手伝いがしたい、という気持ちがある。
でも例えば神戸の震災の時、ニュースを見ながらただの情報と見ていて、ボランティアに行きたい、とか、物資を集めたいとか、気持ちが全く動かなかったのを覚えている。
東日本大震災の時は、すぐに地域の方に声をかけられ、ボランティア活動をしてきた。
声をかけられて、、だ。
そこで、ふと、、、
誰かから手伝ってとか、言われたときはすぐに参加していたことに気が付く。
その記憶から過去がよみがえった。いつもいつも母に先に”お手伝いしなさい!”と言われてからいやいややっていたことをたくさん思い出した。その時の自分の気持ち。めんどくさいとかまた言われた、、と内面は怒りにかられていたこと。
どおりで気持ちがわからなくなっている!
自ら動くとき、自ら選択するとき、人の役に立ちたい気持ちを抑えることはない自由。
でも何かの加減で奥にある面倒くさい気持ちが前に出て人の役に立つことを拒否する自分。
一人でやったほうが気が楽。とか。
なんだろう。わずらわしさを感じるときの、人の役に立ちたい気持ち。
母に先に言われマイナスな気持ちしか残っていない。
もう少しでわかりそうだけれど、頭頂葉がじわじわと感じる。
記憶の彼方。もう少し。。。