救済
あまりに深いコンサートメッセージと経験をどのように表現するかを考えながらも、経験したままを表現することよりないと行き着き、書き込みをさせていただきます。コンサートメッセージはコンサート後に先生のお話をお聞きし、経験を整理し始め、その意味の深さに気づき、理解を深めていくことが必要とわかる経験となりました。
第一部「内在」
「「内在」というのは、各々の立場により様々な意味に使われます。今回はカントの意味をとって「可能な経験の範囲内にあること」の意味で使います。現代社会のように経験の範囲内ではなかなか的確に社会を、あるいは社会の問題をとらえられません。仮に経験の範囲という枠組みは越えられません。同時に経験という枠は境界としてつきまといます。さて、いかに越えましょうか」
目を閉じて演奏をお聴きしていると、先生が境界をどんどん取り払ってくださっていることが見えます。私も様々な枠がとり外されていきました。枠がなければ大いなる存在のメッセージをダイレクトに受けることができ、経験していないことも大いなる存在のメッセージを受けることで、養われていくことを経験します。先生のコンサートにて大いなる存在のメッセージをお聴きできますこと、経験できますことは経験の範囲の枠を越えていけることに今日も頭を垂れます。世の奇跡と叫びたくなります。ピアノの音の華やかできらびやかな輝きが天へ天へと上昇し続け、やがて何の境もない無限な世界へ飛翔していく体感がとても自由で胸開き、大きく大きく生きていける喜びを感じます。
第2部は「超越」です。
「「超越」というのは国語の辞書によりますと、普通の程度を越えて飛び抜けて優れていること、俗事にこだわらないこと、を云います。カントでは、感性的直感によっては経験することができない「超」感性的なもので、「超越」についての認識を「超越的」と云い、念の為に申し添えますが、超越論的{論のところに黒点がついています]すなわち先駆的とは別のものであるとします。我々は今までに経験したことのない社会を生き抜く為には今までの感性、感覚では二進も三進もいかない状態にあります。この状況を乗り越えるには今までよりも優れた感性、すなわち「超」感性が必須です。」
感性、感覚は優れてこそ役に立つこととしみじみと考えました。私は人の運命が見えたり、目に見えないものが見えますので、感覚的であると受け止めています。この世では感覚的よりも論理的でなければ優れているとは言えないとは当たり前のような空気の中で生きてきました。先生に出会い、本音で正直に生きていると自然と論理的になっていることはありがたい気持ちで一杯です。感覚的だけでは優れているとは言えないとは常に感じていたからです。今日のコンサートで改めて優れているとは。。を考えました。今日経験したことを先生とお話させていただくことにより整理できた時、これで精神病と思われる状態から抜け出せると、初めて希望の光を見ました。私は直感的でもあると感じてきました。ふと見える世界があり、見えたままに事が起こる事が多かったので、見えると強迫観念のようになり、やらずにはいられなくなります。それは見えた難を回避したい故に、やらないよりはやったほうが良いと考えてしまいます。が、時々ひどく疲労し、考えます。何かに見せられているだけで振り回されていることもあると考えます。的中することもあるので、ついやってしまうのですが、全てがそうである訳ではないので、精神的にはとてもまいってしまいます。霊的なものに動かされやすく、霊媒体質ですので、人には理解されないことでいつも苦しんでいます。先生とお話させていただき、はっきりと思い出した場面があります。10歳の時の「世界を変える」本音が生まれた瞬間のことです。やってもいないことをやったと言われ、やってないとどんなに言っても信じてもらえずに最後は泣き叫んでも尚、信じてもらえず、やったことにさせられた時の悔しさ、苦しみは発狂しそうでした。私は霊的なものによりそう見せられていると感じてもそんなことを言えば、尚更もっと誤解され、精神病院に入れられる恐怖がありました。いつも言っていないことを言ったと言われたり、やっていないことをやったと言われる事が怖いと感じていました。霊的なエネルギーはそのように見せたり、そのように作っていくことは簡単にやってしまうことをわかっていましたので、取り憑かれている人に何を言おうが、カスリもしないことを嫌というほど経験していました。霊的エネルギーをかぶることは恐怖です。今日をもってやっと抜け出せる事が見えました。それは解明できたからです。自分自身も見せられているのか真の直感なのかを今後深く考え、必ず答えを出していく気持ちでいます。答えを出せたら、この苦しみ、恐怖から抜け出せます。昨年末の胸の苦しみから自分の中で苦しみの原因が見えてきたところです。霊的なものに関わることとわかってきました。子供の頃からの感覚や感性、性格となっていますので、抜け出せる事があるのか、自分の性格や気質とし生きていくのかと考えていました。このまま生きていくのならば、見える世界や直感を整理し、真にやるべきこととやらなくてもいいことを整理していかないと身が保たないと考えていた矢先に今日のコンサートの経験があり、救われました。毎回のコンサートでは救われたという表現が的確です。それも核心に迫る答えを見出していけます。大いなる存在のメッセージをダイレクトに受ける機会がある人生は、未来に成ることは当たり前なのだとわかりました。未来から見たら、なんでやれることを経験しました。成るようにやれば良いのだと見えたのです。2部では生命を犠牲にするエネルギーを敵と表現するなら、先生が敵を変え続け、勝利していくことの連続が見えました。空間には「勝利」「勝利」という言葉が生まれています。もう生命を犠牲にするものは存在できない時代であるとわかり、この時を待ち望んできたたくさんの魂と共に拍手しました。アンコールの国を創るエネルギー現るアリランの美しく有無を言わさぬ迫力ある演奏には涙こみ上げます。一人一人の真の力が現れ、創る国という言葉が生まれます。真の王が立ち、真の人間が立ち、王は大いなる存在のメッセージを正しく受け、皆が生きる国を創り、共に生きる一人一人は真の力、能力を発揮し国を創ります。私が最もやりたいことと武者震いが起こります。
考えること多く、整理すること多い経験でした。考えると真に救済への道が見えます。整理できれば、今後は、無駄なことや生命痛めることはなくなります。さらにわかり、成る未来に向かい、成るように生きていきます。ありがとうございます。