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救済


第一部「エロス」

「エロス」とはギリシャ神話における愛と美の神であるエロスに
由来する言葉です。
純な友情および真善美への努力の象徴です。
一般的にいう「エロい」はあまりにも俗っぽく、本来の意味からは
かけ離れています。このような曖昧な言葉遣いに魔が差します。
プラトンの「饗宴」で描かれるエロスは神と人との間を媒介する力、
陶酔させ理性をこえた領域です。
本来の「エロス」は人間を根源的な生きる力に結びつけます。


第二部「統合の先にある『第三の愛』」

エロスの昇華といってもいいでしょうが、特に現代社会では
エロスだけではエネルギーが足りません。
アガペーという高次な神聖な愛との統合の先にある
単にエロスでもない、単にアガペーでもない、
単純にただ相互に含んでいるのでもない、
「第三の愛」を今日のテーマにします。
新しい愛、すなわち宇宙的、創造的愛、
生命の衝動と神的秩序が響きあう愛です。

悪魔祓いをしていただけると、たどり着くことで精一杯でした。それでもコンサート前には、「食と健康」講習会に参加でき、窓の外に見える木々に心癒され、老化防止のお話をお聞きし、希望を抱き、コンサートを経験させていただけますことに感謝します。

コンサートは私にとって究極の救済となりました。一部のパイプオルガンの時に、突然背中が温かくなり、ひとつである生命を取り戻し、ただただ涙込み上げました。人と人を分けるのも、物事を分けるのも人間の本来あるはたらきではないことが明らかにわかります。分断された世界で生きていることは、生命が分断されていることを生命をもってわかりました。意識的に良いように考えても、生命のはたらきに反していたら、生きていけません。生命のはたらきを取り戻し、心を取り戻し、初めて自分のおかしいことに気づきました。一部の演奏で「生きていける」希望と力が湧いてきました。メッセージの「エロス」については、メッセージのお言葉を心の中で反復しながら演奏をお聞きしました。「純な友情および真善美への努力の象徴」「曖昧な言葉遣いに魔が差す」こと、「神との間を媒介する力、陶酔させ、理性をこえた領域」とのお言葉をわかりたく聴かせていただきました。分けられた心身がひとつになる経験となりました。後頭部から頭の真ん中にある塊が光に抱かれ、とけていくことを経験し、自分の芯になっている闇を引き込む塊が光と変わるのでした。涙よりありません。そこには一つ目が見えました。対象化し見る目とはすぐにわかりました。その目が光と溶け込み、空間に溶け込んでいったのです。この感動、喜びは涙によってより表せません。そして人間はこう生きるのだということを教えられます。自分を取り戻し、心を取り戻し、うれしい気持ちで第2部を迎えました。パイプオルガンから始まりました第2部は、ずっと苦しんできました悪魔と神、原罪への恐怖が露に現れました。気が狂う恐怖もリアルに現れました。いつも自分を見ている自分とは何かを考えていました。無難な選択をし、やらないことを選択した時に安堵する自分とは何かと考えました。また死ぬ時に悪いことをしたと思いたくなくて何かを恐れていく自分も考えました。悪魔の存在を考えざるを得ませんでした。いつも精神が分裂することを恐れ生きてきたことの原因も見ました。先生が「第三の愛」「新しい愛」と表現してくださいました愛に抱かれ、すべてはひとつになりました。分けられるものではないものを分け、苦しんできた人生であったとわかります。この苦しみは言葉によって表せないことでした。ずっとストーブを背負っていると感じる程全身が熱くなりました。今日で救済されたと感じ、言葉によって表現し尽くせない胸の震えに涙よりありません。ずっとこの音、この感覚を何と表現したら良いのだろうと考えました。聴いたこともない音であり世界でした。メッセージの「第三の愛」と言葉になった時、先がひらかれました。最後のアンコールのピアノの音も聴いたこともないピアノです。とても美しく、幸せで、全てある世界でした。この世では聴いたことのない音に心惹かれ、感動してなりませんでした。新しい人生がはじまります。新しい人生を生きていけますことが嬉しく、感謝で一杯です。ありがとうございます。

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