KEIKO KOMA Webサロン

抑えきれない生命の要求


昨日、一軒だけあるヘルパーに仕事を終えて、JRに乗ろうとしましたが、自宅に帰る気にはどうしてもなれず、反対の東に向かうホームの電車に飛び乗ってしまいました。といってもコンサートに参加できるめどはありません。ですが体がどうしてもいうことをきかないのです。定期券を買っている駅まで行って、引き返そうとしました。まだ新幹線で行けば間に合うと内なる声がするのです。未練がましく打ったメールから「乗っちゃえ」と返信あり、突然展開して、大いなる助けが人の姿で働いてくれたとしか思えない助けにより、三鷹、風のホールに身を運ぶことができました。感謝してもしつくせません。行けるはずもなかった突然の展開に、着のみ着のまま、キュウリなどの買い物が袋に入ったまま新感線に。(先生のあの演奏を聴いたキュウリはどんな味がするのでしょうか)見たこともないような美しい雲とその中に浮かぶ富士を見ながら、何度も行ったことのある三鷹市芸術文化センターですがこれまでの失敗が浮かびます。無事行きつけることを祈りながらも、働きのままに身を任せようと。

風のホールは何度も行っているのに、席に着いたとたん、神殿のようと感じました。言葉に表現するのは難しいのですが、今まで聞いたことのないピアノとは思えないような演奏でした。姿勢を初めは意識していましたが、2部の最後では自然にもたれないほうが楽になっていました。新しい生命が人間のなかに。。。手拍子はこの上なく一つでした。

私は過去の自分では生きていけないこと、金銭的なことも金銭だけのことではないこと、脳出血をして自立できていなかったとはいえ、過去のことが私の中でも、今まで認識していなかった家族のなかにも明るみになり、苦境にありました。過去は過去として、いつか逆転するとは言ってもどうすればいいのか正直わからなくなっていました。世俗に嵌っていようが子供たちや新しく誕生した命は大切です。いだきのことが分かり合えない悲しさがこのところ浮き彫りになっていました。全部子供に言えないことで、自分のこと大声で嘘つきと呼びたい気持ちでした。ですが自分気持を押さえつけることのほうが大嘘つきと気づきました。昨日経験したことは、過去は過去として認めたうえで、違う展開が生まれてくる予感です。仕事もだんだん減っていって、違うことを考えなければいけません。すぐに考えなければならない課題もありますが、今朝帰りに車窓から広い海を見ていたら「溶ける」と言葉になりました。自分の都合のいいように言葉を作っているのでしょうか。今まで色々な方々や出来事に助けられてきたことの意味が今にして裡からこみ上げてきました。勿論先生に命助けられたことは言うまでもないのですが。

たった一日しか連続コンサートに身を運ぶことができないことは残念ですが、昨日の経験は貴重でした。

携帯の電源も置いてきたままでついに電源が切れてしまい、いつもなら夜行バスの中で拝読する高麗さんの書き込みもみるとができません。帰宅してすぐに高麗さんの書き込みを拝読して、自分も書き込もうとしましたがどうしても書き込めません。考えたら昨日の朝出たままで歯ブラシもなく、うがいだけで作業着を着たままでした。着替えをして身を清めて書き込みをしています。なぜか一昨日コンサートも配信も聞けずにひたすら書いていたなかで昔のひょっこりひょうたん島のテーマ曲を書いていました。老人ホームの利用者さんが好きな、美空ひばりの「川の流れのように」とともに。

丸い地球の水平線に、誰かがきっと待っている。

苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ、泣くのは嫌だ笑っちゃおう。

進めー。ひょっこりひょうたん島ー。

年がばれますね。(笑)

今日からのコンサート、講座もよろしくお願いします。どうか一つでいれますように。

 

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新しい東京高麗屋スタッフです
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