戦力になる
被災地にいる関係者の無事を確認しつつ、深夜に帰宅し、文字情報では得られなかった大地震の映像に触れ、阪神淡路大震災や東日本大震災の記憶が蘇りました。常に先を創り、真に人を助けることを考え行動なさる いだきしん先生、高麗恵子さんがいて下さるからこそ今があります。まさか元旦からと何度も心に浮かびましたが、それは“人間が作った時間”で生きているからと無駄な言葉を打ち消しました。報道は包摂された言葉や情報満載と理解も出来、今年は必ず別次元で生きて人の役にたっていきたいとより一層強い意志が生まれました。
極寒の一夜を過ごしている方々の命や心に、いだきしん先生や高麗恵子様からの新しいエネルギーが少しでも届きますようにと願ってやみません。
一昨日の聖なるお食事を頂いて以来、医食同源という考えが私の心にずっとありました。これまでの生活を深く反省し、真に御恩返しをし働くため、常に工夫し変えていくことを体で覚えていきます。
元旦の朝、生まれて初めて、長年食し自分でもそれより作らなかった故郷のお雑煮とは異なるお雑煮を自然に作っていました。母が亡くなり1年と10日余りですが、新しいお雑煮を作ることで、時折り訪れる寂しさや侘しさが纏わりついてくるような気持ち悪さから脱却できた気がいたしました。霊魂ではなくて、父母や先祖、関係する「魂の真」あらわし共に働かせていただきたい気持ちでいっぱいです。
美味しいというより凄いという言葉によりならない「お浄めコーヒーを先生の手で作って下さった器で頂く」この瞬間が大好きです。高麗恵子さんと、志を共にする仲間たちと何度も大笑いをした開演前の出来事は粋なはからいと感謝しました。先生のピアノは初めての音、サウンド、経験の連続であり次々と心に映像が浮かびましたが、起こっていることや何があらわれているかは全くわかりませんのでお話が頼りです。高麗恵子さん、いだきしん先生のお話は深く、このあとも配信で聞かせていただけますことがありがたいです。
イエス様が十字架にかけられた時のお話は高句麗のお姫様が殺された光景と重なりました。微力でも新しい人類の未来を創るために本気で働くことが奇跡を起こせると考えます。思い込みでは戦力にはなりません。人に合わせる事をやめ真剣勝負で生きてこそ年末年始の特別な恩恵に報いていけると考えます。
本日は1989年5月に「高句麗」というタイトルでコンサートを開催して下さった旧京都会館でのコンサートです。新しい中心、ど真ん中で生きることより生きるよろこびを感じられない今、国創りの要所での開催に感謝申し上げます。
人生で一番美味しいおせち料理で、只々すべてに感謝感激でした。
かけがえのない時や経験に深く感謝申し上げます。