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我慢しなくていいんだよと百万回言われたい


昨日はコンサートありがとうございました。コンサート会場に入った瞬間たちどころに体がポカポカと温かくなり、ただごとでないことが始まる予感に包まれてドキドキしました。
演奏が始まると、リズムを取ろうなどという意思と全く違うところで身体が動くのを感じて驚きました。「身体が勝手に動く」という言葉は聞いたことはありましたが、実際に体験するのは初めて
で新鮮でした。
コンサート会場に入る直前から、いちいち周囲を確認しながら自分を卑下することを非常に煩わしく感じ、もう我慢はしたくないとの思いはありました。
ただ、思っている感情的な我慢とじっさいの生命のはたらきを疎外する我慢(と言ってよいのかしら?)には差異があるのかもしれないと考え始めました。
我慢に限った話ではないかもしれませんが、思っている世界と違う世界がじつはあるのかもしれないという可能性には希望を感じました。
ではその可能性にふだん気づかないのか。そんなことを思いながら第二部の演奏の力をお借りして過ごしていると、正しいか間違っているかの枠に囚われすぎて、引いてしまったり、言い聞かせたり、とどのつまりは思い込みの世界に縛られて、受け容れる腹を括っていないからだとわかりました。そうすると解決に向かうことなく常に悶々とすることを繰り返すのです。
そんな生身ではなくバーチャルな世界に生きていることが我慢に感じられて仕方ないのです。自分の人生ではないところで生きているところが悲しいです。
演奏後のアンコールの際の手拍子は、いつもであればこのリズムで間違っていないのかしらなどと思いながらするのですが、今回その頭の働きはなく今までになくパワフルな力が湧いてくるのを感じました。
今の表面的な世界にとどまっていては本質的なことが何一つわからないで一生を終えてしまうのではないかという危機感を感じているはずなのにどうして腹が括れないのか。
それは差違を認めないことでふだんどれだけのデメリットを被っているか理解していないからなのかもしれません。
考える機会をありがとうございます


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こんばんは??