感謝
尊いコンサート ありがとうございます。
二部の事から書かせていただきます。
一部でぶっ飛び全開になっていた私は 二部で自分の無感覚のところとか、理解の及ばないところとか、昼間の仕事の疲れとか(実はへとへとでした) 自分が意識できていない己の闇を直撃されたようで、すーっと意識が遠のき、頭がストップしてしまいました。その間もずーっと先生の熱情演奏は止むことなく、申し訳ないと詫びながら、わけわからない人のためにも分け隔てなくずーっとずーっずーーーっと働き続けてきてくださった存在に深く頭を垂れひれ伏しました。そんな二部の後で、みんなと一緒に手拍子を打つことができて大変ありがたく幸せでした。ありがとうございます。己の中に知らない闇がたくさんたくさんあるのだなと思いました。けれどそちらに焦点を当ててとらわれ縛られるのではなく 光を活かして光で生きていきます。
ところで一部では あまりに素晴らしい音に ふと 先生のお身体はいったいどうなっておられるのでしょうと 問うてしまいました。一音一音全部先生と聞こえ、先生は全身まるごと愛でできていると感じました。猿田彦が先生のことを「わがいのち」と叫びたくなるのも 全く道理。神々から愛される超特別の人間。かといってたてまつるのとはちょっと違うのです。先生は、全く新しい人類の丸ごとの存在 ? わけのわからない表現で申し訳ありません 。
さらに書いてしまうと、新しい次元の星づくり 愛の光で輝く星 愛の人と人が集まって輝く星。ほしづくり、と浮かんでしまいました。というわけで、第一部 思い切りぶっ飛ぶ経験をさせていただきました。ありがとうございます。
帰宅後ウェブサロンを開き、高麗さんの文章を拝読し 冷静になり 落ち着きました。ありがとうございます。
二部は、、戦場に届いたと伺い、ほっとします。戦争のことはもちろん頭にありましたが、頭をかすめて通り過ごしていた自分でした。こういういい加減なことも闇です。身体は、これからはこういういい加減も逃さないようになっていくのかもしれないです。
一部のことも思い出しました。溝でしたね。我 という溝を感じていました。とてもとっても狭い溝でした。溝は窮屈です。思い切り出たいです。
明日もまたコンサートがあり、大変幸せです。感謝です。