感謝申し上げます
高句麗伝説二日間に参加させていただきました。誠に有難うございました。
言葉にすることで失礼な気がして躊躇しますが、感謝申し上げます。
舞台も自分も少し遠いところから見るような気持ちがありました、ただ尊い場にいさせていただき、必ずひとつに溶け込み安堵し笑顔となります。
お誕生日の時も表現尽くしてこの様な時を共有してくださり感謝致します。
普段の生活や世の感覚でいることと全く違うことなのだと改めて分かりました。
琴や管楽器の音も素晴らしく心惹かれました。それぞれのご方向からといいますか、真でありながら一つに芸術となり、威力となり、すごく贅沢な場にいさせていただきます。
びわ湖ホールの時は、
高麗さまのお父様の詩が詠まれる時、
お父様のご存在とご関係から、高句麗の末裔でありながら、まずお一人の女性と感じられ、感動致しました。可愛らしいと感じるときもあり、才媛と言葉になります、お会いでき感謝致します。
二日目の奈良の時は、私自身問題が追体験されました。頭が、何かに襲ってこられるように、冷たくて、恐くて、堪える為に感覚をなくしていきます。ただ演奏と詩をお聞きしていて、次第にやめてください、とはっきり言えるようになったと感じ、中心から跳ね除け、怖れずとも良い基本を分かることできました。礼節正してゆきます。
中心に先生がいてくださり笑ってくださるようにも感じられ、安堵し笑顔で終わりました。自分のことで申し訳ないです。
実家に帰り、明治生まれの祖父(小さい頃本当にもっと話したかった)の写真、小さい母の写真、若い父の写真、戦時中の親族の写真など見ました。どんなに可愛くても若くても死んでしまった。何か不思議な気持ちになり、私はと問われます。しっかりしないといけません。
有難うございました。
東清香