感性
この度の三鷹コンサートは、いつもよりも期待しないで向かいました。研修3日目で頭に知識を詰め込んでいるので、このような状態の時はいつも音が身に入ってこないで音とひとつになれず意識混濁のまま終わるかアンコールで一つでも言葉になって、終わることがあったからです。ただ現実として今振り返りますと、新しい職場での自分は昔のようにビクつかず緊張することもなく言われることに対してひるまず前向きに一つ一つ取り組んで向かっていけます事にかつての自分とはまるで変わった、と言葉になります。業務の内容もかなり複雑ですが、なにより驚いたのは周りにいる人たちの健康状態というか、何者かに取り憑かれ生きている状態は生命は悲鳴をあげているように感じてしまい、みんな本当に大丈夫ですか、と、心の中で心配していたのでした。しかし、今ご縁によりこのような仕事をしている自分も本当にこれでいいのだろうかと感じますが、自分のことよりも人のことを感じてしまいます。コンサートでは、第一部では、最後に、私は大きな船となっていき、皆さんを沢山船に乗せていて、そうそう、操縦しているのは先生だと、先生を探しに行ったところで、時間切れとなり、一部は終わりました。第二部では、いつしか内面に光が現れイエス・キリストの存在を感じました。そしてイエス・キリストが言っていることをわかりたいと感じました。私は4歳の頃キリスト教の幼稚園に通っていました。そこでは屋根裏に礼拝堂があり、お祈りのときオルガンを牧師様が弾いていました。とても心が休まり、私はその時間が好きだったように感じます。おそらくその頃、幼い自分はイエス・キリストの存在を知りませんでしたが、存在のエネルギーは知っていたように感じます。今、先生のピアノとパイプオルガンの音をお聞きし、イエス・キリストに会えるのは、幼い頃からの夢だったように感じるのです。