感動の涙
今年最後のコンサートが、感動の涙で無事におわり、心から感謝申し上げます。外へ出ると、雪が降っています。ロマンチックな終わり方に更に感動し、おおいなるはたらきかけと受け止め、全てよしで終われましたことが本当にありがたく感謝で一杯です。2部が終わった時の感動は神に出会った感動でした。神が先生に降りてこられ、神楽をずっと見させていただき、それもこの上なく楽しませていただき、圧巻の神の演技に感服し、一斉に拍手が湧き上がりました。感動で涙こみ上げました。そしてアンコールのどこまでも清らかで美しいアリランに胸打ち震え、咽び泣きました。今年最後のコンサートは感動の涙で終わりました。
今日も無事に1席に身をおけましたことに感謝し、演奏を聴かせていただきました。メッセージは「神性」です。新型コロナウイルスの世界的流行の実態についてどれだけ一人ひとりが理解しているのかをしっかりと受け止め、考える内容のメッセージに今後どう生きるかを考えます。「危機感だけにあおられ人間としての「神性」を奪われてしまいます」を心に聴かせていただきました。先生の音は自分がどうかと聴くことではなく、先生のメッセージとし、宇宙の生まれる3段階前の世界から見るとどう見えるのかが見え、これでこそ人間の真であり生き方とわかることがとてもうれしく楽しく、ありがたいことでした。宇宙の生まれる3段階前で生きるより解決はなく、生きていけることはないことを身をもって経験しわかりました今、宇宙の生まれる3段階前とつながり生きていると、この世の生き方がいかに思考停止であるかが素通しで見えるのです。堕落した人や人間ではなく何物かわからない生き物と化した人と一緒にはたらくことは限界です。常に気を遣い、間違いを注意しても、この世で生きていると間違いを認めることも出来なくなっているので、注意している方が気を遣いながらわかってもらおうとしてきた今までがいかに異常であったかもそのまま見えました。解決は宇宙の生まれる3段階前とつながり生きることよりありません。ここで生きていると、永延と芽が出ないことか否かが一目瞭然となり、止められます。様々なことを考えてしまいましたが、先生の演奏から一貫し神性を感じました。私は神の性格が好きです。演奏から現る神の性格を知ることが楽しく、飽きることなく、魅せられます。神の顕現と感じる演奏でした。神性を養い生きていければ幸せと感じます。
第2部は「継続こそが力」
「本当に正しいこと以外に継続は出来ません。ひと言で正しいとはいいますが、第一部で言いましたように、事実が明確でなければいたずらに危機感と不安感で翻弄されてしまいます。さらに正しいことは内面的に豊かであること、日本の場合で言えば、神話であらわす神の顕現に通じること。本居宣長は神はいかなる力能をもっているかということで「尊いこと善きこと、いさをしきこと、いさをしは雄雄しく誠実なこと」それだけでなく「悪しき」「怪しき」ここでいう「怪しき」は礼儀や道理に外れたことにおいて荒々しいことを時によりあらわし畏れさせる。神の現出は人々を圧倒します。正しいことの継続こそが我々を超えた神の力能とひとつになり実現することです」
大変意味深いメッセージの意味を理解できるのだろうかと、懸命に考え、聴かせていただきました。先生の演奏はメッセージ通りであると学びます。本居宣長の言葉を思い出す場面がありました。このような状態をおっしゃっているのかとわかると、とても楽しく、うれしいです。先生に神がかかり、神楽を見ているようで、とても奥深い芸能を見させていただいているようで充実した時を過ごさせていただきました。神が歌い、神が舞、神が踊る光景まで見えます。神話を見ているようでもあり、今目の前に展開している場面は今の時代に生まれる神話であると感じると魂震えます。私は神と共に生きていきたいと心の底から望みます。この世は限界です。宇宙の生まれる3段階前とつながり生きることがこれからの生き方です。
涙のアンコール、涙の拍手で終わり、心からありがとうございます。私が昨日と今日の仙台コンサートに身を運べましたことは奇跡と感じています。当たり前に身を運べることではないことをこの度程身にしみたことはありません。どんなに感謝してもし尽くせません。新型コロナウイルスの事を先生からお聞きする度に、私はお腹の底から人間の生命を犠牲にする世界を変えたいと強く望みます。変えられる心身となることが必須と甚く考えます。来年もたくさんコンサートを開催させていただきます。一回一回のコンサートを無事に開催させていただき、身をおけますように、一日一日をしっかり生きていくと心に誓い、今年最後のコンサートは終わりました。皆様と共に経験でき、ありがとうございます。