KEIKO KOMA Webサロン


昨夜も胸の苦しみにより、動けなくなり、先生に助けていただきました。目を閉じ、調べると、驚くことに今度は黒い「死の壁」が見えました。初めて見えた時は白い「死の壁」でした。今度は心臓の前にあり、心臓の苦しみでありましたので、恐れました。先生がピアノを弾いてくださると消えて行きました。なんということでしょう。驚くばかりです。今日も痛む胸に困惑しながらも、一歩一歩歩き始めました。三鷹でのコンサート「高天原」で現れた高次の世界、どこまでも澄んだ別次元の美しい世界が生命の中心にあれば、胸の痛みもなく、平穏な状態で歩けることに気づきました。いつも歩くことも動くことも早く、時間に急かされているようにバタバタと気忙しく歩き、動きます。今までのように歩いたら、一遍に胸が苦しくなりうずくまるよりないことに自分でも驚いています。「高天原」を中心とすると宇宙の中心のような体感となり、そのペースで歩く時に、人にも周りにも影響されずに、自分のペースで歩けることを発見しました。すると今まで自覚はしていましたが、時間の神様に使われ、動かされ、コントロールされてきた生命の痛みが見えるようにわかるのです。いかに生命に負荷をかけて生きてきたことかと身にしみました。それでも今まで生かしていただき、感謝よりありません。

第一部「高天原の進展」

「「高御産巣日神」の「産巣」は草や苔が生えるの「ムス」、繁茂の意味です。高くすぐれた呪的力能を自身のはたらきとして体現し事物や事象を生成させい勢いよく繁殖させるように作為する祭祀です」

パイプオルガンから始まる演奏の神聖なる世界に深く感謝し、ここに居させていただくだけで幸せで、感謝ばかりが溢れます。神のはたらきをみる先生の表現は私にとっては最高に素敵な表現で最も求めてやまない世界です。この表現を聴いて生きていけるならば最高に幸せな人生です。続くピアノの音は真に神の表れでした。そして先生の現れと見えました。神を呼び、交信し、神現れ、神共に表現する即興演奏の素晴らしさにただただ魅せられ、感動しました。神現る演奏に、一音も逃すまいとと努力する必要はなく、息を呑み聴き入り、一音も逃すことなどあり得ないのです。先生のはたらきを目の当たりにし、先生の時代が訪れたことに喜びばかりが生まれます。メッセージの「繁茂」という言葉が意味する状態が見える経験をさせていただきました。私は国が生まれ、国が繁栄していくはたらきが大好きと感じながら聴かせていただき、新しい国が生まれる息吹を感じ、生命躍動します。皆が健やかに生きていけるはたらきがしてみたいと心から望みます。メッセージの「高くすぐれた呪的力能を自身のはたらきとして体現し事物や事象を生成させ、勢いよく繁殖させるように作為する祭祀です」を先生の演奏からそのまま見させていただきました。

第二部は「愛の兆し」音では「えの兆し」です。

「愛」と書いて「え」と読みます。地において生命豊かな自然が繁茂してようやく人の生命に中心が「愛」であるという原初の生命の姿があらわれます。現代社会では見ることが中心になり見ることができないものはほとんどわからなくなりこのような自然の生命豊かに生成することと直接に関係している「愛」の姿はほとんど何もわからなくなりました。人間の生命は「愛」を欠いて成り立ちません。「愛<あい>」すなわち「愛<え>」です。」

今日家で聴いていたCDの先生のコンサートメッセージには新生命には今までにない愛が必要です、とありました。はっとしました。新生命となった今、今までにない愛を経験することが人間には必要とわかりました。今までにないのですから経験するよりないということにはっとしました。始まりのパイプオルガンのどこまでも優しい音に涙滲みました。愛の懐に抱かれている安らぎ、安堵に満たされます。昨夜初めて見え、先生に整理していただいた黒い「死の壁」は、恐怖であったとしみじみ感じました。いつも家系的な病気を恐れ、死を恐れ、時間にもコントロールされ、この世で生きることは恐怖よりありません。その上、死ぬとまで脅されているとの先生の表現が真に図星と唸った程に病気になると脅されているようだという経験は嫌という程しています。なんの為の人生かと考えます。この世で先生のお働きにより新生命を得ることができました奇跡を受け止め、恐怖により脅かされながら生きることはここで終わります。愛の懐という言葉が生まれました経験のままに生きていきたいと望みます。ピアノ演奏の時に、先祖の魂が先生にこの度も私の生命を助けていただいた御礼を申し上げていました。私は助かったのだとわかりました。恥ずかしながら、黒い死の壁が見えたことがこの時、よくわかったのです。先生は生命で感じてくださり、長い時間をかけて整理してくださり助けてくださったのだと先祖の魂から教えられ、生命をもって自覚し、真に頭を垂れ、胸の内から感謝の気持ちが溢れてきます。先生の演奏は神を呼び、神を表し、神現れ、先生の存在も際立ちあらわれ、それはそれは素晴らしい演奏です。神現る演奏を乞い求め、世界中の人が集まる光景が見えます。人間の本性は神を求めると感じます。物やお金により生命が犠牲になる社会を作ってしまった人間は愛を失い神を忘れてしまっても生命ぎりぎりとなれば愛よりないことを生命でわかり、本来の姿に戻るよりないと感じます。先生の表現を求めない生命はないと感じ、世界の中心で先生が演奏をされている光景が見えます。先生のメッセージの最後「愛あい」すなわち「愛え」です、の通り、愛すなわち人間なのだとわかりました。愛がなければ人間ではないのです。私はずっとここに居させてくださいと心から望みます。生きている時間が先生のコンサートばかりであればいいと望みます。完全に新生命となり生きる生き方を身につけていけるように、古い生き方はできない体の状態としていただき、ありがたいです。すべては大いなる働きかけと受け止めると、生命のメッセージもよく聞こえてくるのです。苦しくて生きていけない世の中に文句を言っても変えていけなければ文句が溜まり、地獄に落ちるのだと見えた瞬間、世の中の不合理なことに腹を立てても変えていかねば恨みで終わり、やはり地獄に行くのだと見え、新生命となり愛に生き、美しい人間となり生きることが人間の人生とわかりました。かけがえのないコンサートの経験です。深く感謝しています。

明日は六本木地下にて午後3時よりビデオ講演会をさせていただきます。

ありがとうございます。

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