KEIKO KOMA Webサロン


東北の3日間を経験できましたこと、本当にありがとうございます。幸せな3日間を過ごし、明日からの日常はここから始まることがとても嬉しく感謝に満ちます。東北滞在最後のビデオ講演会を聞かせていただきながらも感謝よりありませんでした。
当然ですが一昨日のコンサートがなければ今日はないという、大きなコンサートを経、経験と先生のお話で意識が整理され次へと向かって行けます。

ジェンダー講座にて、時間について整理してくださったことですっかり頭がクリアになりました。3ヶ月ちかく2人で時間について話し合っていました。何かによって2人の時間が奪われている、というそのような表現で何が問題になっているのかを問うていました。それは仕事、会社、体制などと感じていましたが、新自由主義の行き詰まりについてお聞きして、まさにと合点がいきました。2人で考え、全く仕事をしない時間をつくろうとそのような計画立てまでしても、疎外され時間を奪われるという悲しい事態を経験し、何が間違っているのかと考えていました。経済活動と愛は両立するのか?という問いに対して、仕事の時間と愛し合う時間は時間が全く違うことを教えて頂き、数ヶ月間の苦しさは氷解しました。そして本当の時間は愛しあえる時間であることをお聞きして胸のうちでは間違っていなかったと喜びが芽生えました。
人間の人生は大体100年だとしても人類全体や地球の生命を考えれば100年という単位はとても小さく、私たちはこの先何千年と続いていく未来をつくっていかなくてはいけないと考えると、目の前の日常のことや目先の勘定だけをしているわけにはいかないという気持ちになり、また目の前のことも大切だけれど、環境そのものが今後も同じであるとは全く保証されていないことを考えれば、環境の変化に適応して変わることが生きていく大前提と考えたりもします。仮に今までの社会環境、地球環境が壊れたとしても何によって生き延びてゆくかは、愛よりないと感じます。理屈ではわかっても、自分の身体が愛し合う身体になっていないこと、愛し合ったことがないということが分かり始め、過去の経験は全て無効であると感じ始めました。過去の経験を基準にしたらうまくいかないとことは明瞭なのは前提が暴力の上に成り立っていたからです。過去を捨て、新しい表現や新しい身体の動きを覚えていきたいと感じます。
応用コース、死についてもとても面白く、本当のことをお聞きできることは面白いのだと感じます。自分が直接的に誰かの最後を看取ったという経験はまだありませんが様々に人の最期のことをお聞きしていると、人間は自分がいつ死ぬかを選択できる存在なのではないか、ということは考え、またそれができるかどうかはそれまでどう生きてきたかによること、先生の仰れた、ちゃんと生きているという言葉を考えます。
未来を創造するという、仮に今の社会に標準を合わせたらどこか奇異なことに感じる反面、生命の本来性を基軸に考えれば最も自然なことへ向かっているという喜びがふつふつと湧いてきます。男女が愛し合うという、もしかしたら当たり前のことなのかもしれないけれど、今はとても難しく感じることに挑戦していくという一つの明確な方向性と、実際に現実社会の中でどのような表現によって愛を実現していくのかという問いを持続していくパワーが内から湧いてくるようです。
気づきと飛躍の3日間を心よりありがとうございました。

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「高句麗伝説」第6弾
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レバノン??より 
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東京カフェ高麗屋にて