愛
どんなに素晴らしい経験も、これでいいということはない。この世のことで気がかりなことがあり、ギリギリの状態、答えはないと見えていても、絶えずある働きかけを自分で追い払うことをしていく愚かな生き方も、過去もいらない。
5月14日の高句麗伝説では、内面清まる経験と、周りや自分の作ったの枠に嵌まる経験が、終了間際に顕れて集中することを阻まれました。具体的に言わないとわからないことですが、説明することになってしまいます。説明言語では自分でも何のことかの意味は分かりません。警告と受け止めます。
見る意識、聞く意識は遅れてしまう。同時に生きれるようにと。
高句麗伝説に振袖でなく光あふれるマーブリングの衣装で行われたことも、これからの自由を感じます。
「愛」ということが深まっていきます。ありがとうございます。うろこ雲の朝の空はここにも続いています。
今生きていることに、今日も生きていられることに
ありがとうございます。