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第一部「聖なる善」

一般的に「善」は「悪」と対比されます。ほとんど慣れ親しんだ事柄です。
妙なことに「善」をなそうとすれば覚悟が必要です。「悪」を知れば知るほど圧倒されるほどのエネルギーがわかってきます。いつの間にか「悪」に染まりそうになります。
「善」は覚悟によって実行されるのでしょうか。
「善」といえば古くはゾロアスター教のアフラ・マズダーです。アフラ・マズダーという「善」の神です。
光の神。知恵の神。創造の神。純潔の神など。
このように列挙してみると、どこに戦わなければならない理由があるのでしょう。
「善」は「善」のままでよし。
身体の内なる「善」のままに生きてみて下さい。


第二部「原初からの愛」

何ら犠牲のともなわない愛。対象とする愛などは論外。
原初とはいえ古代人に普通にここで云う愛が実現されていたわけではありません。
夢のまた夢。夢に現れる原初の愛は想像なのでしょうか。
夢により現れない原初は、それも稀に、ほんの一部の人々に…。
内なる「善」をかすかにでもみたときに夢に現れる愛。
内なる「善」をそのまま生きて、ここで云う「原初からの愛」は目覚めたままで実現します。
広く深く美しい光のままにあります。

生き延びることができたと安堵と感謝に溢れる昨日の琵琶湖コンサートの翌日は、コントロールされ、生命を使われてきたことの疲れが出ているように感じました。長年にわたり使われてきたのですから少しの疲れくらいですごいことと感じます。やっと解放され、これから更に人生が変わることが嬉しく希望を感じます。幻のコグリョカフェにて皆様の内面の光景を見る時、時の到来を感じます。魂はこの時を待ち望んできたのです。時が来た今、生命あり生きる人間は魂共に動き、悲願を成していくのだとわかります。緩やかに希望あふれる優しい時を皆様と共に、スタッフと共に過ごすことができ、ありがとうございます。

京都ロームシアターでの先生のコンサートを楽しみに過ごしました。コンサートメッセージ「聖なる善」とは素晴らしいメッセージです。なんとも素敵な魅力的な音、深い音の演奏からは「神聖」という言葉が生まれました。生命の内に、中心の柱と立つ神聖なる柱が見え、先生の音は神聖なる世界と交流し、更に更に神聖なる世界が大きく広がっていくのです。ここで生きればいいと教えていただいていると感じました。メッセージの内容も頷くことばかりです。善の神を列挙してみるとどこに戦わなければならない理由があるのでしょうと書かれている通りと感じます。「善は善のままでよし。身体の内なる善のままに生きてみてください」とのメッセージが心に染み入り、嬉しく喜びを感じます。神聖なる世界を生命の内に見ましたのでそのまま生きてみます。これからが楽しみです。一部の後半はアリラン的にも聞こえる素敵な演奏でした。善の国創りと心の中で言っていました。美しく雅で神秘的でロマン溢れ、なんて素敵な演奏でしょう。ずっと聴いていたい愛の演奏です。

第2部は、「原初からの愛」です。メッセージに書かれていることをずっと心に聴かせていただきました。「古代人に実現されていた訳ではないとの表現、夢のまた夢。夢に現れる原初の愛は想像なのでしょうか。夢により現れない原初はそれも稀にほんの一部の人々に。。。内なる善をそのまま生きて。「原初からの愛」は目覚めたままで実現します。」再びメッセージの文章の抜粋で申し訳ありません。この言葉を心に聴かせていただきました。現実にない愛と受け止めました。夢にもみることのできない愛とも受け止めました。であれば原初からの愛は。。。と考え演奏を聴かせていただくと原初からの愛はここにあるとわかりました。先生が表現してくださるとわかり、心の中に光が灯りました。ここに容れることが何より幸せです。感謝よりありません。世俗で愛と言われる愛は、部分に隔っています。愛とは言わないのです。愛は全体と一つであり大宇宙と一つです。先生が表現くださる愛が生きていく要であり生きていく力です。愛無くしては生きている意味もありません。今日も大変素晴らしいコンサートを経験させていただき、感謝よりありません。世界へ届くことを祈ります。ありがとうございます。

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盛岡にて
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結工房にて 即興詩3
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夕刻のマーブリング