愛餐
内面に本来の人間の姿を取り戻し人間として生きていくことをコンサートを通じて取り組めますことに心より感謝いたします。
自分の中に化け物が住んでいれば、その化け物が関係をつくり、人生は無きものになっていくことも痛いほど身をもって経験しました。自己の内面が光に満ち、愛に満たされていることがすべてのスタートであることを改めて理解します。言葉が通じなくなったときには関係は崩壊しています。すべてを破壊していく化け物の正体も、先生にお会いしなければわかることも変わることもなく、死んでいるのか生きているのかわからない生き物と化していることは悲しいかな現実であることも理解できます。これまで、どれほど深い悲しみや根の深い恨みを受け容れ成仏していただいたかは計り知れません。
第二部のメッセージにありましたアガペーには、初期のキリスト教信者の「会食」の意味もあることは初めて知りました。とても感動的で、合点がいく体感でした。調べると愛餐という言葉があることも初めて知ります。イエスキリストの存在があり、まるでイエスキリストを囲み、皆で仲良く楽しく食事をしたそのときの空気がそのまま広がっているようでした。愛に満ち、心満たされ、幸せなひと時でした。以前いだきしん先生が京都八坂で高麗さんの詩会のあと皆にご褒美をとお食事を作ってくださっていたとき、私もそこに参加させていただき、高麗さんを囲み先生のつくってくださったお食事をいただきました。その忘れられない衝撃的な瞬間は今も色あせることなく在り続けています。一口いただくと聖なる生命となり、全身が包まれ、一緒にいただく皆と互いに共感し喜びあったその瞬間は、まるで今日の演奏にみた愛餐のようでした。この幸せを自分の暮らしに実現したいとそのときに生まれた気持ちと、見えた未来は今に続いています。家族ですら、仲良く食卓を囲むことができなくなってしまっている現代、自分の人生に取り戻したい幸せは、イエスキリストを囲み皆で仲良く楽しく食事をしたひとときであったのかもしれません。涙が頬を伝い、この幸せを破壊した神と装い権力によって支配した悪魔の姿もはっきりと見えていました。この神のような悪魔によって、人はバラバラにされ、孤立化していく現代社会へと続き、その影響は今に及んでいることを感じました。私の中では、私を含めて孤立化した人々の心を癒し、共に生きていく生気を得る場としての食卓を取り戻すことをやりたくて、今取り組み始めた活動があるのだと感じました。懐かしい深い安らぎと感動の中にありました。
生命の中にあることはよくも悪くも実現することを改めてよく理解できます。生命の裡にかつてあった人間のぬくもりが取り戻されていく経験ができる今、もしかしたら、本当の男と女の関係も生きている間に実現できるかもしれないと希望を抱きます。
また昨日まで答えの出なかった問いにも簡単に答えが出ていました。次元の異なる世界に触れるとそれまで解決できなかった問題にも解決に向かう言葉が生まれてきます。尊い機会と経験を心よりありがとうございます。